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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

境界の花見川 いきなりできたあやしいトンネル

両岸に緑が多く残る花見川。市民の憩いの場になっている=千葉市花見川区で

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 ぼくが少年時代を過ごした幕張は、西からいうと一丁目から五丁目まであって、町の東のはずれの境界線のところにうまい具合に川が流れていた。花見川である。そこからは隣町の検見川町になる。新興の町ではなく、ぼくの住んでいたところと同じくらいにけっこう歴史があり、漁業と農業を営む人々が住んでいた。思えば町と町の間を流れるその川は国境線をほうふつとさせるような場所にあって、子供の頃は海での遊びに飽きるとその川べりに行くことが多かった。

 今思うと、すごい工事がなされていたのだが、元々そのあたりには検見川から続く丘陵があって、花見川はその丘陵のへりを大きな円弧を描くようにして流れていたのだった。だから川の規模としてはアシやススキが二十メートルぐらい生え茂った真ん中をほんの二、三メートルぐらいの川幅で流れる小川だった。

 そのあたりはぼくたち少年タンケン隊にとってはなかなかスリルのある湿地帯で、ヘビやドロガメ(ぼくたちはカミツキガメと呼んでいた)などがわりあいフツウに生息しており、学校の先生からは子供たちが足を踏み入れてはいけない、と言われていたが、大人の背丈ぐらいの深さの泥底の川はたしかに危険だった。

 前にも書いたが、まだ幕張メッセなどの新都心を造るのにそのあたりの工事までが関連しているということなど思いも寄らない頃だったから、そこでかなり不思議な工事が始まったのをびっくりして眺めていたものだ。その工事というのは、隣町から続いてくる丘陵のど真ん中にトンネルが掘られ始めたのだ。けっこう大きな山だったから工事も大がかりで、大量のダンプカーやショベルカーなどの大型重機が頻繁に出入りしていた。後でわかってくるのだが、そのトンネルはアリが巣穴からセッセと土を掘り出して外に運び出すようにどんどん大きくなっていき、やがて驚くべきことに、山はそこから左右に切り開かれ、最終的にはそれまで丘陵を迂回(うかい)するように流れていた川が、ど真ん中に空いた崖と崖の間に移されたのだ。もう少しわかりやすく言うと、曲線を描いて迂回していた川がその工事によって流れはとめられ、新たに運河のように切り開かれた川となってまっすぐ海に向かって流れるようになったのである。

 このようなシリーズものを書く機会があって、当時のことをあれこれ思い出しているうちに、そういえば、今書いたようなとてつもなくダイナミックな工事が行われていたのを濃厚に思い出したのである。それによって花見川はその頃から川幅二十〜三十メートルぐらいまで拡幅され、今までのアシやススキの間を流れていた小川はただの泥濘(でいねい)地に変えられてしまった。

 記憶は錯綜(さくそう)しているから全く正確さに欠けるけれど、これらの工事は五、六年はかかったように思う。広げた川は、のちにできる広大な埋め立て地に印旛沼干拓の土砂を送り込む幹線ルートになったのである。 (作家)

 

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