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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

漁師町、因縁の歴史? 川をへだてた石投げ合戦

花見川の河口付近。ここから東京湾、太平洋へと続いている=千葉市美浜区で

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 ぼくたち幕張の子供らは花見川を越えて隣町の検見川町の同じぐらいの年齢の子供らと遊ぶことはまずなかった。

 いきなり拡幅されリッパな川になったそこはちょうど国境をわけるような区切りになっていた。

 さしたる理由はなかったけれど隣町同士、川沿いにやってくると、橋はかかっていたものの互いにむこう側まで行くことはなく、双方自分の「国」の自然のなかで遊んでいた。

 あるとき双方五〜六人の同じぐらいの人数のときに、いきなり相手にむかって石投げがはじまった。運河だったから手頃な石は双方の川岸にいっぱいあったから投げる石には事欠かない。どちらから始まったのか記憶はなかったが、いつしか双方でかなり激しい「石投げ合戦」になっていった。

 どちらもこのあいだまで小学生だった年齢だったから、幸か不幸か小さな石といっても向かい岸の人間にストレートに命中するような力のある石は投げられず、比較的体の小さな友人などは向こうの川岸まで届かないぐらいだった。だから石投げといってもめったにテキに命中することはなく、たいていお互いにへろへろに疲れて、いつしか自然休戦となった。

 今思えば川向こうの隣町の少年たちと石投げ合戦ができるなんてとても恵まれた環境だったように思う。

 この敵対関係はやがて川を下って海まで戦闘範囲がひろがっていった。双方の町の少年団にとって格好の素晴らしい場所が誕生していたのだ。

 日本は山などの奥地にいかないかぎり自然の草原(くさはら)といったものはまずない。でもやがて幕張メッセになっていく広大な埋め立て地には夏になるとどんどん雑草が生え、そこはまさしく自由な「海浜草原」になっていた。

 ぼくたちにとってこれほど素晴らしいフィールドはない。

 リッパに成長した川と突然あらわれた海浜草原で自由に遊べたぼくの少年時代は素晴らしい黄金時代だったのである。

 ところで、この草原でも隣町の少年団と出会うと対立的になり結構緊迫した。

 そもそも幕張と検見川の少年たちがなんでそんなに敵対感覚を持っていたか、ということを説明しなければならない。

 それには歴史があった−ということをあとで知り、少年なりに理解した記憶がある。

 互いに遠浅の海で仕事をする沿岸漁師の町である。海洋での漁獲はある程度の境界線を守って行われていたらしいが、季節ごとに大きな収入になる獲物を巡って双方の町の漁師らがけんか同然の漁獲争いからコトははじまったらしい。

 浅い海だからこその闘争関係である。親から家族、子供らに双方競合関係になった相手の町のことを悪くいうような風潮になり、それが子供らにも伝搬していって、川原の石投げなどになっていったらしいのだ。 (作家)

 

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