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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

初戦は「引き分け」 草原の決闘?シャモの喧嘩?

花見川河口から幕張新都心を望む。夏空に白い雲が広がっていた=千葉市美浜区で

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 広域にわたって埋め立てられた幕張の海は、最初の夏から雑草があっと言う間に茂り、いちめんの赤土が美しい緑の海浜草原になった。

 「幕張海浜草原」と名づけてもいいくらいだったが、その草原の寿命はそれほど長くない、と大人たちは知っていたからなのかそういう呼び方は誰もしなかった。

 中学生になっていたぼくはその埋め立て地に行くことが多くなった。名前の知らない海浜性の雑草には虫や鳥が住み着き、たちまちたくましいビオトープを形成していたのだ。

 埋め立ての先端までいけばコンクリートの護岸がぐるりと囲んでいて、その護岸の上に座って海風に吹かれたり、ねそべって太陽の下で贅沢(ぜいたく)なヒルネをするのも最高だった。

 夏の季節になると、その護岸まで歩いていけば干潟を歩いて沖にいくより楽で、満潮のときなどには護岸からもう腰のへんまで潮がきていて遠泳するのも沖から帰ってくるのもてっとり早く、つかの間なのだろうけれど、ぼくとしては、この海と沿岸は新時代を迎えたな、などと思ったものだ。

 気持ちのいい季節にはたいてい五〜六人の仲間と「幕張草原」に行った。

 けれど国境みたいな川を挟んで何度か石投げのケンカをしていた検見川の同じ歳ぐらいの連中もその“新草原”によくやってきた。双方にとってはテキ同士である。草原は幕張のほうに作られているので検見川の連中に対してぼくたちは「お前らなんでここにくるんだよ」という感情があった。

 まあ子供であるから仲良く遊べばいいものを、前回書いたように微妙に違う土地の気質と、そこそこ歴史をもった大人の世代から受け継がれる敵対感情があったから、両方が原っぱにくると自然に剣呑(けんのん)な空気が流れた。

 そうしてあるとき、双方のそんな感情がなにかのきっかけでいきなり膨れ上がり、両方ではっきり意志をもって接近していき、にらみ合いになった。双方十人まではいなかったが、まあだいたい同じぐらいの数だった。

 大人でもなく青年のチンピラでもないし、小学生でもないから、双方むかいあって互いに相手を罵倒するような余裕はなかった。そのときにわかにみんな緊張していたからだろう。誰も何もしゃべらなかった。

 そうしてごく自然にぼくは前に出ていって、検見川勢からは「長」という名の、半ば不良っぽくなっているヤツが前に出てきて、いきなり同時に殴りあった。子供の喧嘩(けんか)だから二、三発げんこを振り回してそのどれかが相手にあたり、ぼくにもあたった。状況としては“草原の決闘”だが、子供の喧嘩は軍鶏(シャモ)のケンカみたいなもので二〜三分すると、にらみ合いになり、やがて双方に数人の仲間が集まってきて、互いにそのままにらみあいながら、なんとなく「ひきわけ」みたいな感じでタタカイは中途半端に終わった。それからぼくはいろんなところでよく喧嘩をするようになるのだが、その日が初戦だった。 (作家)

 

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