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【社説】

北方領土交渉 元島民の悲願に応えよ

 郷里を追われた元島民は七十年以上も返還を待ち続けている。北方領土交渉は彼らの悲願を背負っている。政府はこれに応える外交力を見せてほしい。

 「お帰りなさい。ご苦労さまでした」

 日本の引き揚げ船に乗船すると、赤十字マークの帽子をかぶった看護婦が出迎えた。

 終戦から二年たった一九四七年夏。サハリン(樺太)の主要都市・真岡の強制収容所にいた山本忠平さん(82)=神戸市在住=ら択捉島の住民は、この言葉を聞いてやっと生きた心地がしたという。それでもソ連側に連れ戻される恐怖におびえて、われ先に船底へ下りようとして船員に制止された。

◆シベリア連行の恐怖

 ソ連の貨物船に積み込まれ、択捉島から知床半島を間近に見ながら北上し、着いたのが鉄条網に囲まれた真岡の収容所だった。元島民はこのままシベリアに送られるのではないかと震えた。実際、北方四島に駐留していた日本軍守備隊は武装解除後、シベリアに連行されて強制労働をさせられた。

 船内では炊き込みご飯が供された。元島民は自分の頬をつねり痛さを感じて笑い合った。これは夢ではないのだ、と。

 山本さんは択捉島北方の蘂取(しべとろ)村で育ち、国民学校五年生で終戦を迎えた。択捉島に上陸したソ連軍が蘂取に現れたのはその年の九月末。外出は禁止され学校は休校になった。山本さんは自宅のカーテンの隙間からソ連兵を見ようとしたが、足音が近づくと怖くなり、カーテンを閉めて足音が遠ざかるのを待った。

 翌四六年春に国境警備隊が軍と入れ替わって駐留し、続いて大陸からロシアの労働者が渡ってきた。布袋一つを手にしてほとんど着の身着のままだった。

◆感じたロシア人との絆

 元島民は財産を没収され行動の自由も奪われた。隣家を訪ねるのにも許可がいった。誰だか分からない秘密警察が監視していた。

 国民学校の教室半分はソ連の子どもたちが使った。休み時間になると校庭に飛び出して、日本とソ連に分かれてけんかが始まった。「憎しみ合っていたのではなく、互いの誇りと意地のぶつかり合いだった」(山本さん)。

 領土問題を風化させないために、山本さんは「語り部」として全国を回って体験談を語る。「なぜ島民は島を去ったのか」と、聴衆からよく質問されるという。

 実は、島に残りたいのならソ連の国籍を取得するようソ連当局に命じられた。「理不尽な選択で故郷を追われた」(同)のだ。

 本国送還のために村を離れる村民を、ロシア人が見送った。「行かないでくれ」と抱きついて離れない労働者もいた。故郷を離れて見知らぬ土地に行くつらさを、彼らは身をもって知っていた。「いつの間にか私たちは家族のようになっていた」と山本さん。

 故郷を追われてから四十年以上たった九〇年、山本さんは念願の墓参を果たした。待っていたのは荒れた原野。村は消えていた。

 山本さんは領土交渉の前進には「相互理解を深めるしかない。信頼は友愛につながる。でも、簡単なことではない」と語る。

 四島返還運動の先頭に立つ北海道根室市。七七年のサケマス二百カイリ規制を発端に主要産業の漁業は荒波にもまれ続けて低迷。今年は名物のサンマも不漁だ。

 人口は高度成長期の六六年に五万人に迫ったのをピークに減り続け、現在は約二万六千五百人。国立社会保障・人口問題研究所の予測では、二〇六〇年には半分以下の約一万一千五百人まで減少する。

 領土問題の解決には、地元再生の期待がかかる。日ロ両首脳は九月、四島で実施する共同経済活動として(1)海産物養殖(2)野菜の温室栽培(3)風力発電(4)観光(5)ごみ処理−の五事業を選んだ。

 だが、根室の政界関係者は中小の地元資本が参画するのはハードルが高いとみる。それでなくても地元経済界には、互いの主権を害さない「特別な制度」ができなければリスクが高すぎるとして、参画に二の足を踏む空気が強い。

◆共同経済活動への懸念

 元島民も共同経済活動協議が先行して、島の返還交渉が置き去りにされるのでないか、と懸念する。色丹島出身の中田勇さん(89)=根室市在住=は「共同経済活動に重点が置かれていることに怒りすら覚える」と憤る。

 当時一万七千人いた四島の住民は今は約六千百人に減った。平均年齢は八十二歳を超す。

 もう十八年すると、一八五五年の日露和親条約締結から終戦まで日本が四島を統治した歳月と、ロシアの実効支配の期間が並ぶ。時がたつだけ日本は不利になる一方だ。元島民にとっても政府にとっても残された時間は少ない。

 

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