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【社説】

西日本豪雨 異常気象時代に備える

 過去に経験したことのないような豪雨。死者が百人を超えた。早くから警告は出されていた。何が欠けていたのかを考え、次への備えを始めたい。

 始まりは先週木曜日の五日だった。気象庁は、西日本と東日本で「記録的な大雨になるおそれがある」とし、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水・氾濫に警戒を呼び掛けた。六日夕には、福岡県などに特別警報を出した。

 特別警報は「数十年に一度の大雨」。長崎県から岐阜県まで十一府県に出され、新聞やテレビは「いつもと違う」と解説した。自治体は避難勧告や避難指示を出して住民に安全の確保を求めた。

◆経験が生きた

 関係者が情報を早く、分かりやすく伝えようとしたのは間違いない。過去の経験が生かされた面もある。それでも、犠牲者が百人を超えたのは島根県などで死者百十二人を記録した、昭和五十八年七月豪雨(一九八三年)以来だ。

 犠牲者を出さないためにできることは何か。岡山県倉敷市を例に考えたい。

 堤防が決壊した倉敷市真備地区は、約三割が浸水した。同地区にある三階建ての老人ホーム「シルバーマンションひまわり」には近くの系列施設の利用者や近隣の住民らが避難した。老人ホームは二階まで浸水したが、入居者十七人を含む約百五十人は難を逃れた。老人ホームに勤める女性は「最近やった避難訓練が役立った」と話しているという。

 うまくいった理由の一つは、避難を開始した時点ではまだ、車が道路を走行できる状態で、浸水も始まっていなかったからだ。

 二〇一六年八月、台風10号による豪雨で、岩手県のグループホームで入居者九人が犠牲になった。「避難準備情報」が午前中に出ていた。隣には三階建ての高齢者施設があったが、避難に結び付かなかった。悲劇が繰り返されなかったのは幸いだった。

 同じように住民を救ったのが、泥海の中に立っていた、民間のまび記念病院だ。周囲でもっとも高い、大きな建物だった。多くの住民が指定の避難場所ではなく、病院に避難し、無事に救出された。住民の判断は正しかったのだ。

 避難所は安全な場所で、しっかりとした建物であることが理想である。公的な施設だけでは限界がある。民間の施設も利用する、という発想が望まれる。そのためには、災害が起きる前に行政と民間の間で、役割分担などを話し合う必要がある。南海トラフ地震対策では、すでに多くの自治体が企業やマンションの管理組合に協力を求めている。

◆復旧を急ごう

 九日、被災地では梅雨明け宣言が出た。復旧、復興にとりかかろう。災害後の対応も被害軽減につながる。

 まず大事なのは、避難をしている人たちの健康管理である。水害を生き延びたのである。暑い日が続きそうだが、体調を崩さないようにしてほしい。最近の災害では、災害後に体調を崩す人が少なくなく、統計を見ると、関連死とされる人がかなりいる。

 急いでほしいのはライフラインや交通網の復旧である。救助活動と同じように、各地から専門の事業者が応援に入るだろう。現場によっては危険が伴う場所もある。安全第一でお願いしたい。

 被災地では食料だけでなく、さまざまな物資が不足する。後片付けなどでボランティアも必要になる。インターネットの寄付金サイトで多くの人が寄付をしている。

 しかし、大規模災害では善意の行動が被災地のニーズと合わないことも起きる。被災地の自治体など、確かな情報源にあたって、支援できることをやっていこう。

 災害直後の支援物資は、同じ品物が入っていて、ひと目で内容がわかるものが便利だ。非常用の備蓄を持っている、被災地以外にある企業は、備蓄の放出を検討してはどうだろうか。

 被災地域の広さは震災に匹敵する。首相は外遊を取りやめて災害対応にあたるという。ぜひ、この国難に対応してほしい。

 落ち着いたら、早くから警告が発せられたのに、なぜ、多くの犠牲者を出すことになったのか。その原因を究明する必要がある。

◆天災の国防策

 日本列島は自然災害が多いが、今回はこれまでに経験したことがないような豪雨災害だ。「異常気象の時代」が始まったと考えた方がよさそうだ。

 寺田寅彦は八十年以上も前に「国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は熱心に研究されているであろうが、大天災に対する国防策は、はなはだ心もとないありさまである」と「天災と国防」(一九三四年)に書いた。寺田の警告は今も生きている。

 

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