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【社説】

ボランティア 五輪で理念歪めぬよう

 二〇二〇年東京五輪・パラリンピックのボランティアの募集が今月下旬に始まる。実質上の「動員」となって、平成の世に育まれたボランティア文化が歪(ゆが)んでしまうような事態は避けたい。

 二十六日から大会組織委員会が八万人、東京都が二万人を募集する。競技場での観客の案内や備品管理、大会関係者の車の運転など、業務は多岐にわたる。

 二〇年四月一日時点で十八歳以上であることが条件で、七月から九月の大会期間中、一日八時間、十日間以上(都は五日間以上)の活動が求められる。保険や飲食、滞在地からの一定の交通費は提供されるが、報酬や地方からの交通費、宿泊費は出ない。宿泊場所の確保を考えると、地方からの参加はハードルが高そうだ。

 学生の参加を期待する文部科学省とスポーツ庁は今夏、全国の大学などに大会期間中の授業や試験日程について「適切に対応」することを求める通知を出した。すでに授業日程を繰り上げようと動きだした大学もある。許認可の権限を持つ所管官庁の意向は、ある種の強制力を持って受け止められかねない。

 進め方によっては「自発的」「自主的」というボランティアの基本理念がないがしろにされないか心配だ。

 市民が主体となって社会問題を解決しようというボランティアは欧米の近代社会で発展した。日本でのボランティア元年は、阪神大震災があった一九九五(平成七)年とされる。それ以前も社会福祉の分野などでボランティアは活動していたが、さまざまな世代、属性の人が自然発生的に被災地に駆けつけたことで、一気に裾野が広がった。

 社会的な認知も高まり、特定非営利活動促進法(NPO法)の成立にもつながった。

 西日本の豪雨災害や、北海道の地震など今も大災害が相次いでいる。災害は不幸なことだが、自らの意思で被災地を支えようと駆けつける人々がいることが当たり前となった社会のありようは、一つの蓄積といえる。

 二〇一二年のロンドン大会で無償のボランティアは陰の立役者という意味を込めて「ゲームズメーカー」と呼ばれた。五輪に参加することは、得難い経験となる可能性も秘めている。ただボランティアという言葉を使う以上、募集する側はそれを押し付けと受け取られては逆効果になる。自発的な気持ちの受け皿に徹するべきだ。

 

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