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<文芸時評>沼野充義 中原清一郎「カノン」 古川日出男「冬眠する熊に−」

 今月発売の文芸誌を読んで、新年早々、驚かされることが三つあった。

 第一に、『文藝』に一挙掲載された中原清一郎の長編「カノン」。聞き慣れない作家の名前だが、これは表紙にも謳(うた)ってあるように、一九七六年に『北帰行』で鮮烈なデビューを飾りながらも、その後新聞記者として活躍し、作家としての筆を折ったかと思われていた外岡秀俊のペンネームである。外岡はじつはこの筆名で『未だ王化に染(したが)はず』(八六年)という長編を一度発表していた。これは日本民族とは何か、国家とは何かを問い直すような野心作だったが、その後ほとんど忘れられ、いま突如、この筆名が甦(よみがえ)ったことになる。

 「カノン」の舞台となる近未来の東京では、脳の中で記憶をつかさどる海馬という部分を二人の人間の間で交換する「脳間移植」の技術が実用化している。そして、末期癌(がん)で余命一年を宣告された五十八歳の男性、北斗と、脳に異変が起き近い将来すべての記憶と判断力を失うことが避けられなくなった三十二歳の女性、歌音(カノン)の二人が、赤の他人でありながら、合意のもとに海馬を交換する。いささか非現実的なSFのようだが、その後の展開はリアルである。北斗の心が、歌音の体の中に入り込み、歌音の夫と幼い息子とともに新しい生活を始めるために必死の努力をし、そこから会社の隠微な人間関係、子育てをめぐる親子間のトラブル、そして社会における男女の役割分担などのさまざまな問題があぶり出される。そして究極的には、人間の「こころ」とは何か、私が私であるとはどういうことかが問われるのだ。結末で、新たな人格を獲得した歌音が叫ぶ「わたしは、カノン」という言葉が力強い。端正な文体、深い問題設定と幅広い視野が、巧みな物語の展開とあいまって、読者を楽しませながらも深く考えさせる、希有(けう)の作品に仕上がっている。

 第二に、パフォーマンスの力。「大型戯曲」と銘打たれた古川日出男の「冬眠する熊に添い寝してごらん」(『新潮』)を読んで、この作家のもつパワフルな小説的力が、戯曲の形になってより生々しく炸裂(さくれつ)しているという感想を持った。もともと演劇的才能に恵まれ、朗読の名手でもある古川だけに、当然のことかもしれない。現代における兄弟の対立が神話的な響きを帯び、熊や犬の持つ原始的な力が石油エネルギーによる文明の進歩に対比され、時間は百年のスパンで現代と明治末期を行き来し、空間は日本の回転寿司(ずし)店からシベリアに及ぶ。要約し難い、ある意味で非常に難解で重層的な作品だが、スケールが大きく、パフォーマンスの力で読者を(そして観客を)引きこむ。「百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられない」という登場人物の言葉は衝撃的である(なおこの戯曲は蜷川幸雄の演出により、一月から二月にかけて東京と大阪で上演)。

 また『新潮』は「東京ヘテロトピア」という特集を組んでいるが、これは高山明の構成・演出による「観客参加型の演劇作品」で、参加者は携帯ラジオを持って、東京の中に散在するアジアに縁のある場所を訪れると、そこでラジオから物語が聞こえてくる、という仕掛けである。『新潮』にはこの企画のために小野正嗣、温又柔(おんゆうじゅう)、木村友祐、管啓次郎が書いた十三のテクストが掲載されている。東京という都市の場に、アジアのさまざまな声が呼び交わす。なお木村友祐が『すばる』に発表している短編「ひのもとのまなか」も、学生時代から二十年にわたる東京生活を経て郷里の八戸に戻ろうとする主人公の姿を通じて、中央と地方の関係を問い直す作品になっている。

 三番目は、外国文学の存在感がいよいよ高まっていること。『群像』の「変愛(ヘンアイ)小説集」という企画は、人気翻訳家の岸本佐知子が編者となって、川上弘美から津島佑子まで、十二人の現代日本の作家たちに「変な愛の物語」を書いてもらったものだ。岸本は実際に自らの編訳で『変愛小説集』という独創的なアンソロジーを二冊出しており(講談社)、今回のはその日本作家版。日本語作品か、翻訳であるかを超越して、面白いものは面白く読むという自由さが爽やかだ。その他、『文学界』ではル・クレジオ、ギュンター・グラスなど四人の世界的に高名な作家たちからの「日本の読者へ」のメッセージの他、翻訳小説を三編掲載し、『文藝』はこれまた人気文学ナビゲーターとして活躍する市川真一・鴻巣友季子の二人組による現代世界文学案内「国境なき文学団」の特別版を組み、国境と言語を超えて計三十人近い作家たちにインタビューやアンケートをしている。

 三つの驚きを味わえたのは、幸先がよかった。文学に驚異の感覚(センス・オブ・ワンダー)がなくなったらおしまいではないか。

 (ぬまの・みつよし=東京大文学部教授、ロシア東欧文学・現代文学論)

 

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