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「わだつみ」悲劇の学徒兵 木村久夫 無実訴え「戦犯」処刑

応召後、病を得て大阪の陸軍病院に入院中の木村久夫。1年近く療養した後、インド洋のカーニコバル島に配属された

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 「せめて一冊の著述でも出来得るだけの時間と生命が欲しかった」。戦犯に問われ、無実を訴えながらも処刑された元陸軍上等兵・木村久夫。刑場に連れ出される直前まで書いた「最後の遺書」に家族や故郷への思いとともにつづられていたのは、学問の道を絶たれる無念さだった。戦地でも学術書に飢え、通訳のかたわら本を読み続けた。 (加古陽治)

 「塩尻(公明)先生の『天分と愛情の問題』他にもう一冊入手出来れば早く送ってくれ、死ぬ迄(まで)に是非一度読みたいと願っている。どんな本でもよい、新刊物の経済の本を送ってくれ、どんどんたのむ」

 旧制高知高校(現高知大)時代に恩師・塩尻らの影響で学問の道に目覚め、京都帝国大経済学部に進んだ木村は、戦地で学術書に飢え、何度も家族に送るよう求める手紙を書いた。

 インド洋アンダマン海のカーニコバル島守備隊の民政部に配属され、英語を駆使して生き生きと仕事をしていた。そのころ母や妹に送った手紙には「このごろでは心臓も強くなってベラベラやっています」「南洋の原住民は仲々可愛(かわ)いい。(略)弟のように可愛(かわい)がり、戦争が終われば内地へつれて帰りたいと思うこともある」とつづっている。

 ところが、終戦間際に起きた「スパイ事件」が、木村の運命を変える。陸軍が米泥棒として捕らえた住民が、信号弾を打ち上げて英国側に連絡していたことを供述。英語のできる木村らに取り調べが任された。

 民政部に引き渡された三人のうち二人は体中に傷があり、陸軍側から拷問を受けた形跡があった。そのうち高齢の一人は疲弊しきっており、木村が取り調べた後、収容された塹壕(ざんごう)内で死亡する。もう一人は、監禁中に逃亡し、後に自殺しているのが見つかった。

 木村が得た自白に基づいて、インド人のジョーンズ医師らによる大規模な「スパイ組織」が解明される。木村は「方面軍よりの感状を授与されるやもしれず」(「哲学通論」の遺書)と手柄を持ち上げられた。

 その後、取り調べは陸軍に移り、「スパイ」を続々と拘束。拷問を伴う過酷な取り調べの末、八十人以上が「有罪」とされ、軍律裁判抜きで処刑された。

 木村は処刑には関与していなかったが、スパイ容疑者を棒で打つなどして死なせたとしてB級戦犯に問われた。木村は取り調べの段階では、逃亡後に自殺した一人らへの殴打を認め、陸軍参謀らから「住民を人間のように取り扱うのではなく、ぶって、急いで自白を引き出せ」と命じられていたことを明かした。しかしシンガポールの戦犯裁判では、上官から真相を話すことを禁じられ、あいまいな供述に終始した。

 その結果、司令官と木村ら取り調べに関与した末端の兵五人だけが死刑を言い渡され、拷問を命じたり、裁判抜きで住民を死刑にしたりした参謀は無罪、中佐は懲役三年とされた。

 木村は連合国軍の地区司令官に英文で真相を告発する文書を二度提出したが、認められなかった。信号弾は最後まで見つからず、スパイ事件はそもそも存在しなかった可能性がある。

 「早く早くと急(せ)かされて夢中でアクセルを踏んで走っているうちに事故を起こした運転手のようだ」

 木村は生前「哲学通論」の持ち主だった元上官にこう述懐していたという。

 

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