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<ガチンコ!!>「肉親の死」の虚構 短歌に許される?

 短歌に虚構を持ち込むことはどこまで許されるのか−。短歌界にそんな議論が持ち上がっています。今年の短歌研究新人賞の受賞作が、祖父の死をまだ生きている父の死に置き換えて詠んだ作品だったことがきっかけです。賞の選考委員を務め、肉親の死を虚構で詠むことに懐疑的な加藤治郎さんと、異なる意見を持つ若手の石川美南さん。二人の歌人が真剣勝負を繰り広げました。

加藤治郎さん

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◆暗黙のルール

 加藤 私は受賞作を現代的な父親への挽歌(ばんか)として評価しました。しかし受賞者の父親が健在と聞き、虚をつかれた。その虚構性は有効なのかという問題点が浮かびました。

 石川 前提として、歌人の多くは何らかの虚構を短歌に持ち込んでいることを押さえておきたいと思います。一昨年、歌人の大野道夫さんが千六百人の歌人を対象に調査したところ、現実に体験したことだけを詠むという回答は三割しかありませんでした。

 加藤 この問題について、歌人の斉藤斎藤さんが東京新聞の短歌月評(十月十一日付夕刊)で「短歌には、自分や身内の生老病死についてはリアルな虚構を作らない、暗黙のルールが存在する」と述べています。私の経験からもそう思います。

 石川 私は、肉親の死をフィクションにしてはいけないとは思いません。大事なのは作品としての必然性があるかだと思います。ただ、先ほどの調査でも、父母や配偶者については本当のことを詠むと答えた歌人が過半数でした。読者の側も、肉親の死をリアルに扱っている作品は現実と受け取りがち。暗黙のルールというのは、そういうニュアンスではないでしょうか。

石川美南さん

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◆作り手の思いは

 加藤 フィクションを詠むのが当たり前になった「前衛短歌」運動の後、実際にこの三十年ほど、肉親の死を虚構で詠む歌人はほとんどいなかった。それは動機がないからです。この作者はなぜ父の死として歌わなければならなかったのか。父親が死んだらどうなるかというシミュレーションにすぎなかったのではないか。

 石川 私が読む限り、作り手側には必然性があったと思う。現実に起きたのは、父親が祖父の死をみとったという出来事でした。でも、それは何十年後かに、彼と父親の間で繰り返される可能性がある。祖父を父に置き換えたのは、その死を自分の側に引き寄せる試みだったのではないでしょうか。加藤さんは選考で、受賞作の現代的でクールな感じを評価されましたが、二十代の作者が父の死を最大限に想像したことでそういう味が出た部分もあるのでは。私にはこの作品がただの思考実験とは思えません。彼なりの葛藤が描かれている。

 加藤 もう一つの問題が、虚構性の開示についてです。受賞作は読んでも虚構とは分からない。例えば、冒頭に「祖父が死んだ」という一行があり、作品の中でいつの間にか父親が死んだかのように情念が展開されていく。そんな作品なら、もっと深まったと思う。

 石川 自分が短歌に虚構を持ち込むときは、作品内で明示することが多いですね。でも、それは絶対必要なのか。現実か非現実か分からないところで展開した方が作品の世界が豊かになる、ということもあります。

◆短歌の生命線

 加藤 肉親の死を虚構で歌ってはいけない、という言い方に反発があることも理解できます。本来、創作というのは百パーセント自由であるべきです。それは大前提ですが、やはり短歌の歴史を踏まえると、おのずと守られる一線は事実としてある。

 石川 確かに、虚構を持ち込むのは当たり前という生半可な心構えだと、底の浅い作品になってしまう。そこは書き手も心しなければいけない。

 加藤 肉親の死をフィクションとして当たり前に描く現代詩や小説の世界からは「短歌は不思議だな」と見られるかもしれません。でも、フィクションを突き詰めると散文にかなわない。今回の問題で実感したのですが、短歌の世界全体が「私(わたくし)」に回帰したと思います。この虚構に満ちた現代社会の中で、いかに「私」を出していけるか。虚構をはらみながらも一人称で歌っていくことが、短歌の生命線だと思うんです。

 石川 現代短歌というものがフィクションと現実の強さという、虚実両方を抱き込む形で深化してきたということは、まったくその通りです。肉親の死だけに限った問題ではなく、虚構と現実をどうせめぎ合わせていくかが大切なのだと思います。

◇議論の経緯

 今年7月、第57回短歌研究新人賞に石井僚一さん(25)の「父親のような雨に打たれて」30首が決まった。<遺影にて初めて父と目があったような気がする ここで初めて><傘を盗まれても性善説信ず父親のような雨に打たれて>など、父の死を描いた連作だが、受賞決定後に作者の父が健在であると判明。石井さんは地元の北海道新聞の取材に「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」と説明した。これを受け、加藤治郎さんが「短歌研究」誌に寄稿し「虚構の動機が分からない」と疑問を呈した。以降、肉親の死をフィクションとして詠むことに対する賛否両論が、雑誌やネット上で展開されている。

 <かとう・じろう> 1959年、名古屋市生まれ。歌誌「未来」選者。口語短歌の可能性を切り開く「ニューウエーブ」と呼ばれる流れを先導した。歌集に『しんきろう』(中日短歌大賞)など。

 <いしかわ・みな> 1980年、神奈川県生まれ。16歳で短歌を始め、2003年に第1歌集『砂の降る教室』を出版。結社に所属せず、同人誌等を拠点に活動する。他の歌集に『裏島』『離れ島』がある。

 

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