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【土曜訪問】

声なき声すくい取る 被災地の元競走馬に焦点 松林要樹さん(映画監督)

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 撮影する相手にギリギリまで肉薄する。そんなドキュメンタリーを撮り続けてきた。じっくり時間をかけて取材することをいとわず、海外だろうとリュック一つですぐに飛び立つ。「カメラを持ったバックパッカー」「鉄砲玉」と言う人もいる。その松林要樹(ようじゅ)さん(34)の新作が「祭の馬」。福島県南相馬市で震災と原発事故を生き延びた一頭の元競走馬の物語である。

 「事故直後、人と同じように被災しているのに馬のことは誰も気に留めてなかった。どうしてもひとごとと思えなくて、だから撮りたいと思ったんです」。東京・世田谷の住宅街の一角にある三畳一間、家賃一万七千円の自宅アパートで語り始めた。

 家具産地の福岡県大川市で材木商の長男として生まれた。映画監督を志したのは二十歳すぎ。アジア・中東各地を一人旅し「世の中は、本を読んだり想像するだけでは理解できない、体験しなければ分からないことがある」と知る。

 大学を中退し、故今村昌平さんが設立した日本映画学校へ。デビュー作の「花と兵隊」(二〇〇九年)では、タイ、ミャンマー国境付近に二年通い続け、戦後も帰国せずに現地で暮らす元日本兵六人の生き様を撮った。滞在費が尽きると現地でアルバイトをして稼ぎ、老人となった彼らの長い戦後を紡ぎ出した。

 二〇一一年。震災が起こると、映画監督の森達也さんらと被災地に入り「311」という映画にした。ところが「もっとじっくりと被災地に向き合いたい」と消化不良の思いが募る。戻った翌日には、南相馬へ向かった。そこで避難を強いられた住民たちを追った作品が「相馬看花(かんか) 第一部 奪われた土地の記憶」であり、馬に焦点を当てたのが第二部の「祭の馬」である。

 主人公は地方競馬で四戦四敗、一勝もできずに引退したミラーズクエスト。相馬地方は、伝統行事「相馬野馬追(のまおい)」で知られる通り、多くの馬が飼われてきた。この馬もまた、この地で余生を送るため、震災の直前に引き取られてきた。

 「南相馬に来たのは四月。ここに暮らす人たちのたたずまいを撮ろうと、避難所に寝泊まりして撮影を続けましたが、この馬に出合い離れられなくなった」

 あの日、厩舎(きゅうしゃ)は津波に襲われた。馬たちは奇跡的に生き残ったが、事故で二週間置き去りにされた。何頭かは飢えて死んだ。ミラーズクエストは生き延びたものの、性器が腫れ上がり元に戻らなくなってしまっていた。

 「痛々しかった。そのけがが事故を象徴しているように思えた」と言う。馬たちはいずれは食肉となる運命だった。しかし事故による汚染を理由に不適格の烙印(らくいん)を押される。これは幸せなのか。人間に翻弄(ほんろう)される馬の命を思った。

 県の指示などで取材は厳しく制限されたが、馬主の元に通い、馬房の掃除から始めた。作品では馬主らの苦悩も鮮明に描き出した。

 「馬主の方はいまでも取材されることは嫌だと思っていると思う。でも、そういう人だから粘ってみようと思った。何度もメディアに登場する人を僕が取り上げる意味はないでしょう」。声なき声をすくい取りたい、ということか。

 松林さんの語り口はとつとつとしている。取材では質問に窮して、横にいた配給会社の人が助け舟を出すことも。上映会のトークショーでも同じようなことがあったそうだが、本人は「自分の思いをうまく言葉にできるなら、映画なんか撮りません」と頭をかいて、気にするそぶりはない。

 次回作は既に撮り始めている。原発ができる前、貧困にあえいでいた福島県浜通り地方は多くのブラジル移民を送り出していた。「タイムトンネルのように原発ができる前しか知らない人に話を聞きたい」と昨春、現地に入ったが、その後、取材は中断している。

 問題は資金不足。これまでも取材費用はすべて自腹で、窮するとアルバイトなどで糊口(ここう)をしのいできた。「お金があれば、すぐにでも行きたいんですけど…。大丈夫。僕、マイペースですから」。強い人だと思った。 (森本智之)

     ◇

 「祭の馬」は東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムなどで公開中。

 

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