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【土曜訪問】

語られざる思い描く 長崎の記憶をテーマに 青来 有一さん(作家)

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 米軍が原子爆弾を投下した午前十一時二分で止まったままの柱時計、全身に熱傷を負った人の写真やケロイドの模型。閃光(せんこう)とともに巨大な原子雲が形成され、一瞬にして廃墟(はいきょ)となった街の光景も映し出される。

 作家の青来(せいらい)有一さん(55)は長崎市職員として現在、原爆資料館の館長を務めている。館長室を訪ねる前に展示室を見学していて、敗戦の年の八月九日に始まる長崎の人びとの苦難の歴史を思った。

 長崎で生まれ育った青来さんは一九九五年のデビュー作「ジェロニモの十字架」(文学界新人賞)以来、「長崎の土地の記憶」にこだわり、キリシタンの殉教と被爆をテーマにして書いてきた。フィクションによって構築された物語性豊かな作品のなかで、青来さんは信仰や被爆の意味を浮かび上がらせてきた。

 被爆について言えば、心身の傷や記憶を抱えながら爆心地周辺で暮らす人々の姿を描いた連作集『爆心』(二〇〇六年、谷崎潤一郎賞・伊藤整文学賞)や、十二歳のときに被爆した男性を主人公にした『てれんぱれん』(〇七年)はその一つの到達点といえるだろう。

 だが今年になって、青来さんの作風は大きく変化している。「文学界」三月号(芥川賞百五十回記念号)に受賞者として寄稿した短編「愛撫(あいぶ)、不和、和解、愛撫の日々」は、同じ長崎市出身の作家で被爆者としての体験をリアルに作品化してきた林京子さんとの交流を、作家である自分を語り手として描いている。同誌七月号に発表した最新作「悲しみと無のあいだ」も、等身大の自分を主人公にして、学徒動員されていた十六歳のときに被爆しながら、ほとんど何も語らないまま五年前に他界した実父について書き、真っ正面から被爆の問題と向き合っている。

 作家のなかで、何が変わったのか。「自分は被爆について直接は何も知らないわけですから、自分とは関係のないフィクションとして書いてきたのです。しかし、それを続けていると次第にパターンにはまっていく。そこで、これからどうするかと悩んでいるときに父が亡くなった。父の被爆体験を書くために、日常的な自分を主人公にして、現実の枠組みをしっかり固めたうえで、かと言って私小説ではなく、大胆に想像力でふくらませていく。そんな方法を考えたのです」

 「悲しみと無のあいだ」のなかで、作家自身である「わたし」は、被爆した父が<廃墟のなかを歩きながらなにを目撃したのか、なにを感じたのか>を復元し、<被爆の実相>に迫ろうと試みる。被爆について語らない父は、口癖のように「どげんもならん(どうしようもない)」と言うのだが、むしろこのことばから絶望の深さが伝わる。

 語られざる被爆者の思いに寄り添うこと。この姿勢は青来さんのなかで一貫している。例えば、『爆心』所収の「貝」に登場する女性は七歳のときに被爆し、祖父母と妹弟を失いながら錯乱した母の手を引いて火の海のなかを逃げた。その体験について彼女は死ぬまで何も語らなかったが、あるとき「海が押し寄せてきて浦上の火を消してくれたらよかとに」と祈るように話したことがあった。没後に老人の兄が「あれの心の奥では、炎はずっと燃えておったのではなかでしょうか」と言うのである。

 「語られないということは、そこに想像力をひろげる余地があるということ。被爆したその瞬間、直下にいた人たちは数千度の熱で一瞬のうちに消滅してしまいます。あまりに悲惨なものを見ると、人は自分自身で心に封印する、あるいは忘れてしまうのではないでしょうか。ホロコーストを経験した人にも似たような症例があるそうです」

 戦後六十九年。被爆者も戦争体験者も少なくなっていくなかで、被爆の文学、戦争文学はこれからどう書かれるべきなのだろう。

 「例えば私は水木しげるの漫画が好きで、『ゲゲゲの鬼太郎』を見ると、あのなかには水木さん自身の戦争体験と重なる部分が隠されていた。しかし今、現代の若い人を主人公にすれば、そういう話はまず出てこないでしょう。そういうときにどう書いていくかというと、親子関係のなかで戦争体験をとらえるとか、祖父母との関係で考えてみるとか、そういう時代になったのだと思いますね」 (後藤喜一)

 

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