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【土曜訪問】

天賦の才、もっと生かせ 60〜70年代の音楽・映画・芸能を語る 荒木一郎さん(歌手、俳優、作家)

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 荒木一郎さん(72)。懐かしい名前だ。高齢の世代ならば、テレビの歌謡番組やドラマ、映画などで何度も見たはず。一九六○年代のスター。サングラスが似合う都会的で<不良>的な個性が持ち味。『893愚連隊』『日本春歌考』などの主演映画が話題となり、学生運動などで当時、社会や体制に向けて声をあげた若者たちの共感を得た。自ら曲を作って歌うシンガー・ソングライターの草分け的存在であり、「空に星があるように」「いとしのマックス」など、大ヒットした曲は今も口ずさまれる。

 六九年、暴行容疑で逮捕され(後に不起訴)、多くのメディアからバッシングを受けたが、エンターテイナーの才能はその後も発揮された。自身の音楽アルバムの制作、数多くの楽曲提供、桃井かおりさんやポルノ女優らのプロデューサー稼業、味のあるバイプレーヤーとしての映画・テレビドラマへの出演、八〇年代以降は作家としてミステリーや青春小説も手掛けた。表舞台の活動はこの四半世紀は遠ざかったが、マジシャンとしての活動や研究、子供たちのショーイベントの演出などに、近年は取り組んでいる。

 そんな荒木さんに映画や音楽の評論家が取材した発言集『まわり舞台の上で 荒木一郎』(文遊社)が出た。荒木さんが取り組んできたさまざまな仕事のエピソードや、平たんではない半生の軌跡が余すところなく語られる。それは同時に、六〇年代から七〇年代の音楽・映画・芸能の世界の興味津々のグラフィティでもある。

 「昔からどんな仕事も自分から積極的に働きかけたものは、ほとんどない。出無精だし、ある時期から神経症にもなり、依頼には、自宅から半径五百メートル以内ならばと言い訳してきた。とことん受け身で、ひとから熱心に持ちかけられた仕事で、それが自分にしかできないことだと納得したら取り組む。自己主張で動くのではなく、自分は動かずに相手が自分の<環境>の中に入ってくれたら付き合いますという姿勢。ある意味それは、すごくわがままで贅沢(ぜいたく)な態度だね」

 作品に取り組むきっかけは「受け身」であっても、そこに独特な表現の方法やこだわりが貫かれているのは本を読むとよくわかる。それぞれ音楽性が異なった曲作り、人間が本当にそこにいるような演技や演出、ルールではなく現場のなかから創案される表現が至るところで語られる。

 「テレビも映画もスタジオ録音も、当時はほとんど手作りで、試行錯誤の連続だった。どの業界も活気があって自由で、少々ハメを外しながら面白いこと、新しい試みは何でもやった。変化のない曲作りや役柄を演じるのが嫌で、それぞれの場所で生きる人たちのために多様な作品を作りたいと思った。僕を使って作品を作り提供する人たちの夢をかなえようと、脇役に徹してきたつもり」

 受け身の脇役でありながら確固たる自己存在の裏付けを持つのが荒木流の哲学だろうか。戦後社会から少しずつ脱皮し、六〇〜七〇年代という都市や生活環境が大きく変貌した時代に、多分野で、万華鏡のように華やかでクリエーティブな活動をした。六四年の東京五輪前夜の渋谷の街を舞台にした小説『ありんこアフター・ダーク』(小学館文庫)では、軽快なジャズにのせて、繁華街にたむろする当時の若者群像や風俗が描かれる。

 「いまの日本にはエンターテインメントはない」と言う。「商業主義的なノルマと自分で書き込みができないマニュアルに抑圧された音楽や芝居のステージ。オリコンチャートや視聴率が幅を利かすだけでは、面白い才能は登場しない」

 荒木さんが青春を生きた時代から見わたすと、ポップカルチャーの世界すらそんな狭く管理的な環境になっている。「人は誰もそれぞれの天賦の才能の持ち主だと思う。大人や教育はそれを序列化してしまった。でも学校なんかやめてもいいから、やんちゃに好きなことをして自分の居場所を持ち、それで人を喜ばせるのがエンターテイナーでしょう」 (大日方公男)

 

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