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【土曜訪問】

垣根越え真理は一つ 『泥があるから、花は咲く』で仏法を説く 青山俊董さん(尼僧)

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 曹洞宗の尼僧で、愛知専門尼僧堂堂長を務める青山俊董(しゅんどう)さん(83)が出した『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)が、昨年十二月の刊行以来、五刷七万部と版を重ねている。この本に込めた思いとは−。俊董さんが東京を訪れた機会に、話を聞いた。

 「とにかくわかりいい話を、と思いましてね」。法衣に身を包んだ俊董さんは、不思議に人を安心させる落ち着いた口ぶりで語った。「すべての人の、最高の生き方、最後の生き方を説くものが仏法だと思うんです。大事なのは『法』。サンズイに去ると書く。水が去る。引力のある地上では高きから低きに流れる。この、水が流れ去るという天地の道理。古今を超え洋の東西を超えて変わらぬ真理です。インドでは『ダルマ』といって、最高に生きるための生き方を説くものなんです。これをすべての人、特にこれから人生を生きる若い人にこそ聞いてほしい」

 今回の本では、そうした仏法を、理解を助ける具体例も入れながらつづった。「誰の人生にもいろんなことがある。それをどう受け止めて転じていくか。同じことも、受け止め方でマイナスにもプラスにもなる。喜び豊かな人生に切り替えることができますからね。仏教が伝来したときに、先祖供養を大事にする日本人に合わせて取り入れた葬式法事が主流になり、仏教といえば葬式だと思われてますが、本当は違うんです。仏法とはたった一度の自分の命を大事に生きるとはどういうことかを説くもの。その本来の仏法を問い掛けたいわけです」

 人はとかく病気や損、失敗、憎しみなど心にかなわないこと…いわば「泥」から逃げ、目をそむけようとする。しかし、そうした「泥」も、良き師、良き教えに出会うことで肥料と転じ、泥水があってこそ咲く蓮(はす)のように人生を美しく花開かせる。本にはそうした教えもつづられ、タイトルにもなっている。「本気、やる気というアンテナを立てる、その役をするのが『泥』。苦しみ悲しみですわね。次に大事なのは、良き師を求めること。人生を旅にたとえたら、師は間違いのない旅の案内人。良き師を通して良き教えに出会える。教えは大事だけれども、良き師を通さないと自分流に受け止め、小さな自分の物差しの範囲でしか理解ができない。だから良き師を得るのは大事なことです」

 ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者で、ノートルダム清心学園理事長を務めたシスター(キリスト教カトリック修道女)の渡辺和子さんと親交があり、本の帯文も渡辺さんが寄せた。渡辺さんは昨年末、亡くなった。「本当に残念です。和子先生は、私と同じことをおっしゃるんです。表現こそキリスト教的ですけど、よく似ている。先生の話を聞くたびに、『真理は一つ』だと思うんですよ。その真理を、広く宗教を超えて、民族を超えて問い掛けることができたらいいなあ、と。もう一つは、日本という同じ土壌で育った人間同士であること。唯識学で本有種子(ほんぬしゅうじ)という、ものの見方があります。生まれる前からいただいてきたものが私の中に流れている。手近にはわが家から、広げると日本人として、もっと大きくいえば東洋人としていただいてきたもの。江戸っ子気質とか大阪人気質なんていうのも本有種子の中にある。私も、カトリック系の学校に話に行くとシスターたちが私の話を『しっくりくる』と言うんですよ。これは本有種子の問題だと思うんです」

 五歳の時に長野県の曹洞宗無量寺に入門。十五歳で出家得度し、名古屋市の正法寺・愛知専門尼僧堂で修行した。一九七六年から尼僧堂堂長に。二〇〇九年には同宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任した。寺で開かれる参禅会などの折に人生相談に訪れる人も多い。「人生相談の半分は『聞く』じゃないですか。聞くに徹する。相手もしゃべると自分の中で考えをまとめていかなきゃならないですからね。寺というところはね、一つはごみの捨て場だと思ってるんです。全部捨てればいいんです。そのごみを、こちらは仏法という炎で燃焼させて生きる力にして返す。それが寺だろうと思うんです」 (岩岡千景)

 

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