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【土曜訪問】

沖縄人の抵抗を撮る 「大琉球写真絵巻」で歴史描く 石川真生さん(写真家)

沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で

写真

 石川真生(まお)さん(63)は全身で沖縄にぶつかってきた写真家だ。米軍統治下の沖縄で生まれ育ち、本土復帰の翌々年に写真家になった。以来四十三年。ずっと、沖縄で生きる人たちにこだわってきた。

 二月下旬、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前。新基地建設に反対して座り込む一人の女性を撮影していた。琉球王国時代から沖縄の歴史を描く「大琉球写真絵巻」を四年前に始めた。薩摩藩の琉球侵攻、沖縄戦から、辺野古の埋め立てまであらゆる場面を創作写真で表現する。ストレートな怒りもあれば、風刺の効いたユーモアもあるのが、らしさだ。

 「安倍政権になってから、いろんなことが動きだした。なぜこうなったか歴史をさかのぼろうと思った。沖縄人の私が人生体験を総動員した私の沖縄だよ。安倍政権と米軍に対する私なりの抵抗さ」

 撮影のモデルとなった読谷村(よみたんそん)の保育士城間(しろま)真弓さん(38)に石川さんのことを尋ねると「ウチナーンチュ(沖縄の人)でしか撮れない沖縄の魂を写してくれる人」と教えてくれた。

 一九七一年秋。米軍基地存続を認めた沖縄返還協定に反対した十万人デモがあった。輪の中にいた高校三年の石川さんは過激派が投げた火炎瓶で機動隊員が亡くなるのを目撃する。「どうして沖縄人同士が殺し合うのか」。泣きながら「沖縄が燃えている」と思った。そして「この沖縄を表現したい」と決意した。七四年、二十歳の春、東京で故東松照明(とうまつしょうめい)さんの教える写真教室に入った。

 まずは米兵を撮ろう。沖縄に戻った後、向かったのはコザ市(現沖縄市)や金武町(きんちょう)の外国人バーだった。二十二歳から約二年、黒人専用の店で働き、いつしか客と恋に落ちながら、同僚の女性たちを、米兵を、撮った。デビュー写真集『熱き日々inキャンプハンセン!!』(比嘉豊光さんとの共著)には、内側から見つめたからこそ撮れた若者たちの当たり前の青春がある。「ミイラ取りがミイラになる直前の危うさの中で見た人間の裸形が投げ出されている」。東松さんは豊かな人間描写に驚いた。

 ところが事件が起こる。東京のマスコミが「米兵に体を売る女たち」とスキャンダルに仕立てた。偏見だ。だが、被写体となった一部の女性から抗議があり、「友人を傷つけた」と石川さんは自分を責めた。全てのネガを手放し、写真集自体を封印した。

 二〇一一年の大みそかだった。大掃除の最中、亡き父がこっそり保管していた大量のプリントが自宅で見つかった。「人も歩けば知人にぶち当たるような狭い島で自由に青春を謳歌(おうか)する彼女たちを私は大好きだった」という石川さんは、写真を封印した後も、「なぜ隠さなければいけないのか。黒人だからか。バーの女だからか」と自問していた。もう存在しないと思っていたプリントの発見を機に一三年、横浜市内の個展で約三十年ぶりに発表した。

 「仲良くならないと良い写真は撮れないさ」という石川さんはこんなふうに、相手の懐に飛び込み時間をかけてシャッターを切ってきた。基地に反対の人だけでなく、賛成の人も撮る。米兵も自衛官も。作品からは安易な固定観念を嫌い、自分の目で事実を見きわめようとする誠実さを感じる。「相手と話すと相手のことが分かってどんどん仲良くなる。その過程が私は好きさ。お互いに影響し合う。お互いに刺激し合う。それが人に会うってこと。その結果、写真になる。だから写真も楽しいのさ」。二度のがんを乗り越え、ほとんど休まず撮り続けてきた。

 その石川さんの肋骨(ろっこつ)にこの二月、新たながんが見つかった。ステージ4。昨年から胸に痛みがあった。特に大きな一眼レフは負担のはずだ。だが、「カメラを構える時が一番幸せ。この瞬間は痛みが消える」といつもの笑顔を見せるのだ。「大琉球写真絵巻」は毎年展覧会を開いてきた。「撮りながら沖縄の歴史を学んで、沖縄は小さな島だけど沖縄人はずっと抵抗し続けてきたと知った。今年も秋には展示をやる。来年も再来年も撮りたいものはたくさんある」。石川さんの写真を見れば、沖縄は今も燃えているのが分かる。信じて待ちたい。 (森本智之)

 

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