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【土曜訪問】

異論に接し経験積め 不測の時代を前に 立花隆さん(ジャーナリスト、評論家)

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 立花隆さん(76)は、日本のジャーナリズム界の大物だ。丹念な取材で時の首相の金脈問題を暴いた「田中角栄研究」などを発表し、時代の最先端技術を追うサイエンスライターとしても名をはせた。そんな立花さんは十年ほど前に大病を患い、最近は晩年を意識した著書を相次いで発刊している。「知の巨人」は今、何を思うのか。「猫ビル」の愛称で親しまれる東京・小石川の仕事場を訪ねた。

 二〇〇七年にぼうこうがんが見つかり、翌年には心臓も手術した。体の衰えは否めないが、「死ぬべき時が来たら死ぬだけ」と生活習慣は変えていない。一昨年には、著書『死はこわくない』で死に臨む心境をつづった。「もうくだらないことに費やす時間はない。特に最近その思いが強いです」としみじみ語る。

 それでも、かつて蔵書の重みでアパートの床が二度抜けたという読書量は健在だ。机上には、『マテリアル革命』と題した科学雑誌から、少々怪しげな『刑罰変態性欲図譜』まで、幅広い書籍が山積みになっていた。「週刊文春に読書紹介のコーナーを持っててね。面白そうな本は手当たり次第買うけれど、記事にできるのはごく一部。すごくロスが多い仕事なんですよ」

 小学四年の頃、雑誌の付録で鉱石ラジオを作って科学の世界にのめり込んだ。大学は理系を志望。しかし進路指導の教諭が、色弱を理由に待ったをかけた。「当時は試薬の色などを判定するのでサイエンス系は無理と言われた。悔しかったけれど、文学や哲学への興味も同じくらいあったから」。東大仏文科を出て文芸春秋に入社。さらに哲学科に学士入学してフリーライターになった。科学少年の心は忘れず、「科学の進歩をかなりポジティブに捉えている」という。

 立花さんの代表作といえるのが、〇五年末に刊行した『天皇と東大』だ。江戸時代から太平洋戦争までの近代史を俯瞰(ふかん)した上下巻合わせて千五百ページの大著。「日本がなぜあれほどバカげた戦争に突入したのか」をつぶさに検証した。その筆が乾かぬ〇六年八月十五日の終戦記念日、当時の小泉純一郎首相が靖国神社を参拝した。「ここで声を上げなければ」。立花さんは同じ日、終戦直後に着任した南原(なんばら)繁・東京帝国大総長を顕彰する集会を、東大の安田講堂で開いた。

 南原は敗戦を「新たな国生み」と訴え、どん底の日本人を鼓舞。偏狭な民族主義を強く否定し、学問の自由や国際社会との協調を声高に唱えた。その言葉に感銘を受けた立花さんは、急速に進む日本の右傾化をけん制するために件(くだん)の集会を企画し、関連書籍を編んだ。昨年は『「戦争」を語る』で、自身の戦争体験も明かした。「もうすぐ日本人全てから戦争体験者がいなくなる。何とかしてきちんと形に残さないと」と危機感を募らせる。

 最近は「もはや南原の言葉では足りないと感じる」という。英国の欧州連合(EU)離脱やトランプ米大統領の登場など、世界で大きな地殻変動が起きている。「これまでと全く違う時代が目の前に広がろうとしている。何が起きるのかまるで分からない」とぽつり。「大きな物事について『俺は分かってる』と言うやつほど、間違っていることが多かった。それに惑わされないためには、多様な意見に接して具体的な経験を積むしかない」と語る。

 「今は自分より若い政治家ばかり。不満もあるけれど、大上段に批判するより、それなりに頑張ってるかなと思うようになった」とも。老境を迎え、もう満ち足りた気持ちなのかと問うと、「いや、そんなことはない」と目を光らせた。

 実はこのインタビュー、終えるのに半年かかった。初回は南原のことを知らずに戦争観を尋ね、話がかみ合わなかった。そして立花さんに「これ以上話しても時間の無駄。もうやめましょう」と打ち切られた。再度取材を申し込んだのは半年後。南原の本を読み込んで臨み、どうにか最後まで聞き終えた。こちらの意をくんだリップサービスはない。抽象的な質問には眉をひそめる。かつてなく手ごわい取材相手だった。でも、得たものは大きかった。 (岡村淳司)

 

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