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【土曜訪問】

?な作品 想像力養う 現代アートに魅せられて 逢坂恵理子さん(横浜美術館館長)

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 美術館には普段は関係者以外立ち入れないバックヤードがある。秘密の扉から通された応接室で待っていると、部屋の前を右に左に小走りする人が…。館長の逢坂(おおさか)恵理子さん(66)だった。この夏開催する現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2017」の準備に追われているとは聞いていたが、想像以上の慌ただしさだ。

 どうしてもこの人に会ってみたい、と思ったのは一年前。横浜美術館で現代アーティストの村上隆さんが、ジャンルを問わない膨大なコレクションを公開した際に「この展覧会は逢坂恵理子さんが居るから成立しました。僕の生きてる間に一緒に展覧会をやってほしかったんです」という文章を寄せていたからだ。世界的なアーティストにここまで信頼される人って…?

 「あの文章は読んでのけぞりました」と逢坂さんは動作を交えて笑う。村上さんは二十四年前、逢坂さんがフリーのキュレーター(学芸員)時代に手掛けた展覧会、第二十九回「今日の作家展 視(み)えない現実」(横浜市民ギャラリー)を見て「若い僕に日本の現代美術の大きな可能性を示唆してくれた」と絶賛。残念ながら、空間展示を主体とする展覧会の記録は残っていないが「会場の壁のしみが気になって。真っ白に塗ってくれないと作家に出品依頼はできない」と施設側に交渉することから始めたのだという。「展覧会の構想を一から作るキュレーターは、いわばアーティストと“共犯関係”。そんなことを学びつつある時期でした」

 逢坂さんが公立美術館で学芸員の職を得たのはその直後、四十三歳になっていた。「私は元祖フリーターでアウトサイダー」と公言するほど、その道のりは曲折を経ている。高校時代から学芸員に憧れ、学習院大では芸術学を専攻したものの、七〇年代初めの日本に女性を受け入れる美術館はなく、東京・丸の内で働くOLに。そこで貯(た)めたお金で欧州の美術館を回り、あまりの素晴らしさに「ぜいたくは言わないから美術界で働きたい」と決意した。それまでは仏像や寺社建築、民芸などを愛する日本の古美術ファンだったというから驚きだ。

 現代アートに目覚めたのは美術出版社の雑誌『みづゑ』でアルバイトをしていたとき。海外の膨大な資料を整理していて「おじさんが檻(おり)のような空間でコヨーテと一緒に過ごす写真」に遭遇した。ドイツ人アーティスト、ヨーゼフ・ボイス(一九二一〜八六年)が七四年、ニューヨークのギャラリーで試みたパフォーマンス「コヨーテ−私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」だった。「これが美術?」と自分が全く知らないアートが存在することにショックを受けた。

 次の職場、国際交流基金では『みづゑ』時代の蓄積を生かして、日本ではほとんど知られていない海外の現代美術家を招聘(しょうへい)する事業に関わり、職員だった南條史生(なんじょうふみお)さん(現森美術館館長)から展覧会を実現する手法を学び取った。ひとつひとつの出会いとチャンスを「背水の陣」の覚悟で生かし、つなげていくことで「思ってもみなかった」横浜美術館館長というポストに就いて八年が過ぎた。

 現代アートは難解だといわれる。「私もいつも驚き、常に分からないものに囲まれている」と素直に語る。駆け出しの学芸員時代、米国の美術教育者に言われた言葉を肝に銘じている。「美術史を見ると、百年後に残らなかった作品はたくさんあるし、百年後に初めて評価された作品もある。美術に向き合う私たちは常に謙虚じゃなきゃいけない」と。

 「アーティストは未来を先取りしたり、私たちが気づかないことを知らせてくれたりするメッセンジャー。想定外の作品に出会って戸惑うことはしょっちゅうだけど、立ち止まって考えることで想像する力が鍛えられる。一人一人が違って当たり前なのがアートの世界。それは私たちの社会にもつながっている」。現代アートが浸透すれば世の中から争いはなくなる、と信じるゆえんである。 (矢島智子)

◆横浜美術館企画展(横浜市西区みなとみらい3の4の1)

●ファッションとアート 麗しき東西交流 4月15日〜6月25日(木曜と5月8日休館。5月4日は開館)

●ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」 8月4日〜11月5日(第2・4木曜休場)。美術館と横浜赤レンガ倉庫1号館が主会場

 

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