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【土曜訪問】

亡き人に正義を返す 『ルポ 思想としての朝鮮籍』を出版 中村一成さん(ジャーナリスト)

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 なかむら・いるそん。一つの名前に、日本と朝鮮、二つの国が存在している。国籍は日本で、生まれたときは「かずなり」と名付けられた。

 京都の朝鮮学校が二〇〇九年にヘイトデモの被害を受けた事件と訴訟をつぶさに記録した『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件−<ヘイトクライム>に抗して』で注目を集めた、気鋭のジャーナリストだ。

 なぜ、名だけを朝鮮語読みにしているのですか? 京都市内の自宅兼仕事場を訪れてそう切り出すと、中村一成さん(47)は、ふと過去を懐かしむような眼差(まなざ)しになった。

 「私の父は日本人、母は在日朝鮮人二世です。二十代のころ、自分の生い立ちを在日の大学教員の人に明かしたら、『じゃあ、イルソンさんですね』って。信頼する人だったので、呼ばれるうちに、そう名乗ろうかなと思うようになった」

 先ごろ、『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)を出版した。植民地支配の時代に生まれ、戦後も極貧と激しい差別の中で「朝鮮籍」として生きてきた在日の先達六人から聞き取った記録だ。

 日本社会で差別され、弾圧され、裏切られ…。六人の体験談は壮絶の一言に尽きる。日本人の立場で読むと、日本の「加害」が歴史ではなく、現在進行形である事実に身がすくむ。六人に共通するのは、人間としての根源的な「品性」。中村さんは「取材といいながら、個人授業で生き方を教えてもらった」と振り返る。

 ページをめくると、読み手も悔しさに震え、涙がこぼれそうになる。人ごととして描写していない。時代は違えど、書き手に同じ切実さがある。なぜなら−。

 「物心ついたときから、自分は何者かということを考え続けてきました」

 中村さんの父は東北出身で、大阪で土建業を起こした。家には彫りものだらけの人や刑務所帰りの人も出入りしていた。社会の搾取構造や、教育を受けられないことが貧困を再生産するのを肌身で感じて育った。

 「父は貧乏で無学で、すぐ手が出る。私も鼻を二度折られた。母にはそんな暴力は振るわないけど、最後は『おまえは血ィが汚い』とか怒鳴るわけですよ」

 何よりもつらかったのは、母が自身のルーツを否定することだった。母の卒業アルバムをめくると、日本国籍を取る前に通名で使っていた「新井」という姓が削り取られた跡があった。母方の祖母はキムチにニンニクを入れず、「ニラやショウガを大量に入れるからおいしくなかった」。

 中学生のとき母方の曽祖母の葬儀に出たら、斎場のプレートに見知らぬ日本名が書かれていた。本名では差別されるからと親族が偽名をつけていた。人生の最後なのに。ラーメン屋でビールを何本も飲んで荒れた。「なんでふつうに生きられないのか。差別への怒り、怨念が常にあるんですよ」

 朝鮮と日本の両方のルーツがあることで、同じ在日からも疎外された。「商工会関係者に本名の名刺をもらった後で自分の出自を説明したら、『あんたにはこれでいいやろ』と通名の名刺に取り換えられた」

 屈折と悲しみを抱えた青年に、人生で初めての「イルソンさん」という呼び掛けが、どれほど優しく響いたことだろう。

 新聞記者として十六年半働き、二〇一一年に辞めた。記者の時も在日一世、二世の聞き取りに取り組んだが、高齢化で亡くなっていき、「間に合わない」という焦燥感からだった。

 国籍を理由に年金制度から排除されたハルモニ(おばあさん)が日本政府を訴えた裁判があった。取材した原告の一人は、夜明け前に連日電話をかけてきた。「ゼエゼエしながら『まだ年金は出えへんのか!』と叫ぶ。ニコヨン(日雇い労働)で働きづめの人生で、生活保護は嫌だとずっと言っていた。怒りを私にぶつけるしかなかったんです」

 裁判は敗訴に終わり、女性は亡くなった。朝鮮人としての誇りを取り戻す。果たせなかった約束だけが残った。

 「在日の問題を書き続ける動機は三つ。自分の欠落や受けた傷を回復したいという思い。子どもたちに、良い未来を残したいという願い。なにより、亡くなっていった人たちに、正義を返さなければならない」 (出田阿生)

 

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