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【土曜訪問】

ちゃんとしていますか デビューから半世紀 大人に問う あまんきみこさん(児童文学作家)

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 タクシーに乗ること数分、緩やかな坂道を上り、いくつめかの角を左に折れると、あまんきみこさん(85)のお宅がある。日本を代表する児童文学作家は来年、デビュー五十周年。タクシー運転手の松井五郎さんが不思議な客を乗せて日常と非日常を行き来するデビュー作『車のいろは空のいろ』のシリーズは、世代を超えて愛されている。旧満州(中国東北部)生まれの生い立ちから、戦争も繰り返し題材にしてきた。京都府長岡京市に住むあまんさんの春を訪ねた。

 「細い道をただ根気よく歩いてきた」。そう言ってイチゴのケーキを一口頬張ると、自作の童話の登場人物たちがしてきたように、あまんさんの目は糸のように細くなった。かねて車の運転はできないし、自転車にも乗れない。「暖かい日だな」とか「桜が咲いているといいな」とか考えながら、この日は歩いてケーキを買いに行ったという。ファンタジーと呼ばれるあまんさんの童話の世界は、こうしたささやかな日々と地続きに生まれるのだろう。

 父親が南満州鉄道の社員だった。一人っ子で、病弱で寝ていることが多く、窓で縁取られた四角い空を見て空想していた。女学校では日記ならぬ童話をノートに書いて文学少女の友人と交換した。敗戦の混乱で外出できない日々は、暇に飽かして新聞を手作りし、その下段にはやっぱり童話の欄を設けた。とにかく書くことが好きだった。それで作家になったのかと思いきや、違うという。「ご縁のおかげ」とおっしゃる。

 戦後、日本に引き揚げて編入先の大阪の高校を卒業すると、婚約を見届けるように母親が他界した。二児を授かったが、子育ては右も左も分からず、聞こうにも、母親はいない。そんなとき、新聞記事で日本女子大の通信課程を知り、家政学部児童学科に入学する。「人生には見えないドアがいっぱいある。何かをしたいと思っていると、見えてくる」

 自作の童話を寝かしつけるわが子や近所の子どもらに読み聞かせ、その反応をまとめたリポートをきっかけに、大学の先生から児童文学者で詩人の与田準一さんを紹介された。児童文学作家の坪田譲治さんが創刊した童話雑誌「びわの実学校」に、故郷の山を追われて人間の姿をして暮らす熊の紳士をタクシーに乗せる「くましんし」を初投稿し、十三号に掲載された。読んだ与田さんがひと言。「この運転手さん、もっとお客さんを乗せられるね」。空色のタクシーが地図を描くように走り始めた。「知らないことを知る。書くたびに発見があり、どきどきする」。それが書く喜びという。

 ほかに、鬼の子が人間の少女のために身をなげうつ『おにたのぼうし』をはじめ、生や死といった重いテーマをも綿菓子のような柔らかなユーモアで包み込むあまんさんだが、旧満州時代に話を戻すと、「中国の人たちを追いやっていた」と厳しい表情をした。戦時中は子どもだったというのに、この人はずっと背負ってきたのだ。「知らないことは免罪にならない」と。

 一方『ちいちゃんのかげおくり』は、父親を戦地に見送り、空襲で母親や兄を亡くして独りぼっちになる少女を主人公にしたおはなし。戦争を描く背景に敗戦が影を落としている。「神風が吹く」「天皇は現人神(あらひとがみ)」−。そう声高に叫んでいた先生の言うことが、敗戦と同時に百八十度変わった。それまで先生から教科書を三回読んできなさいと言われると、一回でも五回でもなく三回読む素直な子だったのに「あまりいい子じゃなくなった」。今思えば先生もそうしないと身が危なかったのかもしれない。

 戦中育ちですからと、森友学園問題や道徳の教科化で注目される教育勅語をすらすらと暗唱してみせ、「私は日の丸を振った。敗戦でソ連旗も振った。メーデーには赤旗も振った。トラウマ(心的外傷)よね。子どもに旗を振らせるのだけは切ない」と憂いた。「大人はちゃんとしていますか」と問い掛ける。

 「人はうれしいことも、つらいことも、言葉にできない思いもみんな持ち続けている」とたびたび語ってきた。「木の年輪のように体内に感じている」 (谷知佳)

 

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