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【土曜訪問】

縄文の知恵を追って 植物から先人の暮らしに迫る 佐々木由香さん(植物考古学者)

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 日曜の昼下がり、東京都西東京市の多摩六都科学館。植物考古学の研究者・佐々木由香(ゆか)さん(42)が、市民向け講座「考古学者のお仕事体験!」で教えていた。助手は、佐々木さんが非常勤講師として教える昭和女子大の学生たち。「考古学者=年配男性」のイメージを裏切るように、女性の明るい声が会場に響いた。

 佐々木さんの専門は、縄文時代の人々がどのように植物を利用していたかを調べる「植物考古学」。土器や石器などが中心の考古学で、まだ新しい分野だ。その数少ない草分けとして、最前線を走っている。

 出土した遺物の分析を手掛ける民間企業に勤め、全国各地の遺跡を飛び回る。さらに大学の非常勤講師や研究所職員を掛け持ちし、目の回るような忙しさだ。

 縄文時代というと原始的で素朴なイメージだが−。

「それが違いました。縄文人は植物の特性を熟知して生活に役立てていた。むしろ現代人が及ばないほど、高度な知識と卓越した技術があった。知れば知るほど縄文人に『おれらのほうが知ってるよ!』とガツンとやられる感じなんです」

 進んだ大学には考古学専攻の学科がなかったが、遺跡発掘のアルバイトをして面白さに目覚めた。四年のときに出合った東京・東村山市の下宅部(しもやけべ)遺跡が、その後の人生に道筋をつけた。

 「発掘現場で説明会を開催するという新聞記事を読んで、すぐ現地へ。その場で主任調査員に、ボランティアでいいから掘らせてと頼み込みました」。現場では縄文人の暮らしをのぞくような気がした。住居跡で「こんな狭いところで寝ていたのか」「何を食べて、どんな景色を見ていたんだろう…」と思いをはせた。

 たまたまこの遺跡は、植物が出土する「低湿地遺跡」だった。植物は、炭化でもしなければ後世に残らないが、水に漬かっていると空気に触れず、実や種、木材などが腐らずに残る。

 ところが、考古学の主流は土器や石器などの研究で、植物にはあまり関心が持たれていなかった。「どんな木や草が生えていたのか」「植物の食べ方や使い方は」といった疑問はすぐに解決できなかった。

 それならばと出土した植物を植物学の研究者に持ち込んだ。大学院にも進学し、七年を費やした。研究者たちと調べていくと、集落周辺では栗や漆など人間に役立つ木が自然界であり得ないほど生え、人為的な生態系があったと分かった。

 「実を食べ、油に加工し、繊維は布や縄にして…。ひとつの植物を余すことなく使い切り、それを維持する生産システムがあった」

 知りたいのは、人々の暮らし。もともと考古学専攻ではなかったからこそ持てた柔軟な視点でもあった。

 二〇〇七年には、「縄文時代後期後半に九州でダイズやアズキが栽培されていた」という発見があった。先輩の考古学者から、「柿の種」だと思われていた土器の痕跡のレプリカを見せてもらっていた佐々木さんが、ふと「豆のへそのようだ」と気付いたことがきっかけだった。近くの商店街で豆をたくさん買いあさって見比べると、ダイズのへそにそっくりだと判明。植物の種を日頃から観察していたことが、考古学での気付きにつながった。

 何でも自分で試してみる研究スタイル。今は縄文時代の籠を再現する本の出版を目指し、手芸作家と準備中だ。「わたしほんとに不器用で…。ササの籠も本職に教わりました。まず良質のササを栽培し、水気が抜けた晩秋に収穫して三カ月干す。口で割って薄くそいで『ひご』にして編む。膨大な手間と技術です」

 たとえば、皮がむきにくい栗をどう調理していたか。ふだん料理をするので、生活に根差した疑問がわく。「韓国でスペアリブと栗の煮込みを食べましたが、縄文人はどうだったか。乾燥保存して割ると皮をとりやすいので、それを煮ていたのかも」。民俗学や文化人類学との連携も大きい。

 いま考古学を志す女子学生が急増しているという。「女性の研究者が増えてほしいし、少しでも興味を持ってもらえたら」。調べるほどに先人の知恵に打ちのめされ、未知の分野が広がる。だから「一人でも仲間を増やしたいです」。 (出田阿生)

 

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