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【土曜訪問】

生きづらさ思う人へ 「文庫X」仕掛け人 「書店員X」を刊行 長江貴士さん(書店員)

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 本のタイトルや著者、中身を伏せた覆面本「文庫X」の登場から一年余。東北の一書店から全国六百五十店以上に広がり、三十万部を超えるベストセラーを仕掛けた書店員の長江貴士(ながえたかし)さん(34)が七月、著書『書店員X』(中央公論新社)を刊行した。単なる裏話でなく、ヒットを生むに至る自らの半生をつづった人生の指南書と聞き、どんな人物なのか、会いたくなった。

 文庫Xに関わる人を「共犯者」と呼ぶ。インターネットの普及にもかかわらず、昨年夏に勤務先のさわや書店フェザン店(盛岡市)で企画を始めてからタイトル公表までの四カ月半、ほとんどネタバレがなかったからだ。「文庫Xの形じゃなかったら買わない、文庫Xのまま広がった方がいいと判断してくれたとしか思えない」。それも中身の『殺人犯はそこにいる』(新潮社)あってこそだと強調する。

 著者はジャーナリストの清水潔さん。北関東で起きた幼女殺害・失踪事件の真相を追うノンフィクションだ。それまで三千冊以上の読書歴にはもちろんノンフィクションも含まれたが、この本は「僕たちがこうだと信じていることを根底から覆す。自分たちが生きている世界の土台が、こんなに不安定なものなんだなっていうのが、読んだら理解できる。日本に住んでいる以上、無関係な人間は誰もいないと思いましたね」。

 「職業病みたいなもの」で、本はどう売るかを考えて読む。本来の表紙をオリジナルカバーで覆ったのは「先入観」をなくすためだった。「タイトルも表紙も怖そうですよね。自分の読む本じゃないないって思われる可能性が高いと思いました」。上司には、購入者が既に同じ本を持っていた場合に返金する許可を取った段階で、中身を伝えていないというから驚きだ。数々の本を発掘してきた土壌がさわや書店にはあった。

 フェザン店だけで一日最大二百六冊が売れた。多数のメディアに取り上げられた。だが、予想以上の反響にもこう警鐘を鳴らす。「文庫Xは共感をベースに広がった企画で、それはすごいありがたいこと。ただ、共感が強すぎちゃう世の中っていうのに対して、僕なりの危惧みたいなのはあって、自分が良いと思うものだけで身の回りを固めてしまうと、そこから抜け出すのは難しいだろうなという感覚があります」

 静岡県富士川町(現富士市)出身。三人きょうだいの長男で高校は進学校。転機は進学先の慶応大で訪れる。違和感を感じつつ表向きは「優等生だったんで、就活をしない理由を見つけるのは無理だった。ここで逃げとかないとダメだって思いました。大学院に進学したところで先延ばしにするだけじゃないですか、大学を出て就職するというレールをそこで終わりにしたかった感はありますよね」。三年次の春から一度も大学に行かず、自殺も考えた。実家に連れ戻され退学。二〇〇三年に神奈川県の書店でアルバイトを始めた。

 過去にコンビニやファミレスのアルバイトを三カ月で無断で辞めている。書店を選んだのも消極的な理由だったが、裏表紙を上に積んだり派手なポップを付けたりと、独創的な売り場づくりが業界で注目され、一五年、さわや書店に引き抜かれた。見知らぬ土地にも抵抗はない。「これがないと生きていけないというものを減らすようにしています。縛られたくないなと思ってたんで」。人と同居するのも無理そうだという。「長江だからしょうがねえ、今はそう思われるように振る舞っているんですよ」

 自著の副題は「『常識』に殺されない生き方」。「殺されない」に一瞬ギョッとするが、理由はこうだ。「立ち向かうのは強い人じゃないですか。僕は弱いままでもいいぞって言いたい。困ったら逃げればいい。さんざん人に迷惑かけてきましたけど…」。生きづらい思いを抱える人にこそ届けたいと願う。自分が救われてきた本も紹介した。「自分が違和感を感じるようなものでも排除せず、日常の中に入れると、自分の中に広がりが出てくるし、新しいものにも出合えるんじゃないかな」。発展途上の一書店員。気になる今後については「期待を裏切り続けたい」。 (谷知佳)

 

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