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【土曜訪問】

修復 現地で教え導く カンボジア遺跡研究でマグサイサイ賞 石澤良昭さん(上智大教授)

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 八月三十一日、フィリピンの財団が、アジアで社会貢献などに尽くした人をたたえるラモン・マグサイサイ賞の贈呈式を首都マニラで開いた。マザー・テレサらそうそうたる過去の受賞者の列に今年、日本から加わったのが上智大教授の石澤良昭(いしざわよしあき)さん(79)。世界遺産のアンコールワットをはじめ、カンボジアの古代遺跡群を半世紀以上も研究。一九八〇年代から「カンボジア人による、カンボジアのための」をモットーに、遺跡の保存修復と人材養成に努めてきた人だ。

 「アジアのノーベル賞」とされる賞だけに取材の依頼が相次ぎ、記者は新聞二紙との合同インタビュー。「そうでございますね…」。物腰からして丁寧に、研究者人生を振り返る。

 アンコールワットとの初対面は、フランスの植民地だったカンボジアが独立して間もない六一年。上智大フランス語科を卒業する直前、ベトナムで講義する教授のお供で近隣諸国を巡った時だ。高さ六十五メートルもの尖塔(せんとう)など、荘厳な石造伽藍(がらん)に心をわしづかみにされた。「信心深く人に優しい彼らの祖先が、何を願って建てたのかと。大変な衝撃でした」

 フランスの教育研究機関による遺跡修復を手伝いながら一から学び、カンボジア留学も決まったが、出発日の七〇年三月十八日、羽田空港でクーデター勃発を知る。内戦となり、再び現地に入れたのは十年後。遺跡群の損傷が進む窮状を、西側の研究者として初めて国際社会に報告した。

 この折、四十数人いた旧知のカンボジア人の遺跡保存官が、ポル・ポト政権下の虐殺で三人だけになった現実に直面した。これでは民族の象徴がだめになる−。思い立ったのが、人材の現地養成だ。「六〇年代、フランス人の先生方は『カンボジア人がだめだから自分たちが遺跡修復をやっている』と。でも、作業中によく見ると手先が器用で、石に穴一つ開けるのも非常に慎重。彼らでやれるのではと感じていました」

 黒かびを取り、水をかき出す。遺跡保存の基礎の基礎を住民に教えて回った。八九年にアンコール遺跡国際調査団をつくると、遺跡の調査や保存修復に加え、保存官の候補者らを育てる現場研修も開始した。九六年には現地に「アジア人材養成研究センター」を設け、優秀な学生は上智大の大学院でさらに高度な研究に挑戦できるようにした。

 これまで十八人が博士や修士の学位を取得。全員が国に戻り、大学教授や政府幹部となって遺跡保護の先頭に立つ。「昨年、私ども調査団が着工したアンコールワット西参道の修復工事。うち(上智大)で博士号を取ったリー・ヴァンナ君が国の遺跡局長になりましてね。彼の陣頭指揮で進めています」と目を細める。

 研修の受講者も五百人を超えた。最新の技術を教えるだけでなく、石工を表現した遺跡の浮き彫りから当時の建築技術を読み取って昔の苦労を学ばせるなど、自国の歴史や文化に誇りを持てる指導を心掛ける。

 二〇〇一年には、バンテアイ・クデイ遺跡で発掘調査の実習中、二百七十四体の仏像が出土。アンコール王朝の国力の推移に関する通説をひっくり返す大発見となった。「カンボジア人の手で掘ったのがミソなんです。世界的に注目され、皆さん随分元気になった。遺跡の保存修復は学問レベルの向上につながる。考古学でいうと、カンボジアは東南アジアで一番発展したんじゃないでしょうか」

 人材養成や遺跡保存が注目されての受賞だが、研究業績への評価も高い。遺跡に残る碑文の内容を逐一現地に赴いて検証し、六百年を超すアンコール王朝の歴史を立体的に復元した。西はベンガル湾、東は南シナ海に至る道路網を整備して活発な交易を繰り広げた一大帝国であり、功徳を積む行為を重視する精神性が多数の石造寺院を生んだことなどを説いたのだ。

 「学術的に多く分かってきて、さらに大文化遺産国になりますよ。日本側と交流を続けつつ、あとはカンボジア人自身で国の歴史文化を人類史の中にしっかり位置付け、世界に広めてほしい。遺跡修復もそう。私たちは、その前座を務めたわけです」 (谷村卓哉)

 

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