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【土曜訪問】

個人の主体性前面に 企画展で振り返る全共闘時代 荒川章二さん(国立歴史民俗博物館教授)

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 熊本水俣病闘争を象徴する黒地に「怨」と白抜きされたのぼり旗や「日大全共闘」の文字が入ったヘルメットなどが会場で目を引く。一九六〇年代後半に盛り上がった社会運動や学生運動を振り返る国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の企画展「『1968年』−無数の問いの噴出の時代−」。展示を取り仕切った同館研究部歴史研究系教授の荒川章二さん(65)を訪ねた。

 歴博は二〇一三年、元東大全共闘議長で科学史家の山本義隆さん(75)や、日大OBらのグループ「日大930の会」からそれぞれ東大、日大全共闘の資料計約二万五千点の寄贈を受けた。「全共闘」は特定の新左翼党派(セクト)と距離を置く「ノンセクト」と呼ばれる学生たちが、一九六〇年代後半から次々に大学ごとに設立した組織だ。なかでも学生運動のヤマ場の六八年にできた東大と日大の全共闘が規模や知名度からも代表的で、大学改革や大学当局の不祥事の追及などに声を上げた。

 資料は日本近現代史が専門の荒川さんが引き受け、グループで整理や研究を続けてきた。「しんどかったですよ」。わずか半世紀前の学生運動は研究の蓄積がほとんどなく、専門書は数えるほど。「研究の成果を展示で伝えるとなると、自分で歴史のストーリーを見いだしていかざるをえませんでしたので」

 ただ、資料からは興味深い姿が見えてきた。当時の学生運動はこれまで、セクト間の内ゲバが激しさを増したことや、集団リンチが世間を震撼(しんかん)させた七一、二年の連合赤軍事件をきっかけに収束したという筋書きで語られてきた。「もちろんそれは一つの事実ですが、多くの学生は自分の学びたい学問は何か、大学はどうあるべきか、学生運動の中で積極的に構想を示していた。それは現在の大学をめぐる議論にも生かせるような真摯(しんし)なものでした」

 会場に並ぶ約五百点の展示は、文字がびっしり書かれたビラやパンフレットが中心だ。「ちょっと大変だけれど、ぜひ内容をきちんと読んでみてほしい。既成のイメージとは違った側面を資料は教えてくれます」と力を込める。

 今回の展示は学生運動にとどまらず、ベトナム戦争への反戦運動や水俣病闘争といった当時の社会運動にも焦点を当てた。「個人の主体性が前面に出た運動という点において、全共闘運動と明らかな共通性が見られる。都市だけでなく農村を含めて、個人が自己主張をしはじめた非常に面白い時代だったことを知ってほしい」と話す。

 例えば「農地死守」を掲げ、農民や学生が成田空港建設に反対した三里塚闘争。「運動の過程から見えるのは、壮年男子たちが全部仕切るような古い農村の姿ではないんです」。展示では「平和をよごすでねえ」と題された子どもたちの作文集や「百姓だって人間だ!」と書かれた高校生のビラ、運動の最前線に立つ女性たちの写真などを見ることができる。「夫婦関係でも、女性はおとうちゃんに好きなことが言えるようになっていった。一つ一つの集団が自立して動き、さらに個人が自立して、硬い序列的な農村社会が変化していったんです」

 日本全国の住民運動団体は七三年ごろ、二千近くに上ったという。「個人がある集団に入って、そこで自分の意見を主張していくというのが戦後民主主義のあるべき姿だとすると、六八年はそれが花開いた瞬間だったのかもしれないですよね」

 その学生や市民の経験は連合赤軍事件の後も社会に根を下ろし、無視できない影響力を持ち続けたと見ている。「特定の政党とは距離を置きつつも自分の理想の世界像を持っているような人たちが、社会のいたるところに散らばっていった。意外と日本社会が変な方向に行っていないというか、ある時代にガガガッと動くことのない強さみたいなものって、あの時代の経験で得たものなんじゃないかな」

 企画展は十二月十日まで。一般八百三十円、大学・高校生四百五十円。十一月十一日午後一時から三時まで、荒川さんの講演会「全共闘とは何だったのか」を開催する。 (小佐野慧太)

 

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