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【土曜訪問】

祈りの地で木と対話 3・11から再起 平櫛田中賞 安藤榮作さん(彫刻家)

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 舟越桂(かつら)、三沢厚彦(あつひこ)、籔内佐斗司(やぶうちさとし)ら、現代日本を代表する彫刻家が歴代受賞者に名を連ねる平櫛田中(ひらくしでんちゅう)賞。今年の受賞者、安藤榮作(えいさく)さん(56)を奈良県天理市のアトリエに訪ねた。

 元は町の印刷工場だったというアトリエには濃密な森のにおいが満ちていた。ヒノキにクスノキ、クヌギ、ナラ…。乾燥させた角材ではなく、樹皮の付いた原木から彫り上げていくことの多い安藤さんの制作は木との共同作業だという。「デッサンを基に形を作っていくと『もっとこうした方がいいんじゃないの?』と木が教えてくれる。木は材料というより生きもの。命と一緒に仕事をしている感覚が強い」と安藤さんは言う。

 作品は斧(おの)をひたすら打ち続けることで生まれてくる。最初は、大きく重い鈍角な刃をきこりのように全身を使って振り下ろす。仕上げは、小さく鋭い刃でトントントンと心地良いリズムで刻む。作品を覆う無数の斧の打痕(だこん)は表面的な飾りではなく、作品の中にこもるエネルギーそのもの。制作過程が作品として結晶化しているのだ。代表作「鳳凰(ほうおう)」のような具象作品もあれば、抽象もある。

 安藤さんは東京・墨田の生まれ。いつも粘土をポケットに入れているような子どもで、高校二年のときに彫刻家を志す。「彫刻では食べていけないけど、一生は一回きりだから」と三浪の末、東京芸大に入学。だが「芸大の門をくぐった途端、俺の居場所じゃないな」と感じた。大学では石彫を学んだが、木彫に転向したのは卒業後、植木屋のアルバイトで剪定(せんてい)した木がただで手に入ったからだ。

 受賞歴もないままに大学の同級生だった浩子さん(56)と結婚。巨樹に惹(ひ)かれて転居した福島県いわき市の山間部で子育てをしながらともに創作を続けた。「山に入ってどうするの? もう終わりだね」と言われもしたが「現代アートの潮流に乗るよりも、自然界の情報を徹底的に体に刻印した方がいいという予感があった」。木や斧の扱い方はすべて独学。中が空洞になっていようが腐っていようが、どんな木でも彫った。思い通りにならないことに直面することで、木と対話する今の創作スタイルが確立した。

 とはいえ、夫婦二人の彫刻で家族四人が食べていくのは綱渡りの連続。銀行に一銭もない、税金や社会保険料が納められない限界の状態のときに東日本大震災に遭った。当時は子どもたちの通学のために、いわき市の海沿いに移って五年目。家族は無事だったものの、家も倉庫も作品もすべてを失った。「リセット(やり直し)だな」。夫婦でつぶやいた。

 創作を続けられるような転居先はなかなか見つからなかった。どうせ行く所がないのなら行きたい所へ行こうと、家族で日本地図を広げ、皆が一斉に指さしたのが奈良県だった。仏像や古い町並みといった魅力のほかに「昔から人々が祈りをささげてきた土地は原発からも守られているように思えた」。

 国や自治体からの支援金があるうちに彫刻で暮らしを立てなければ、と死に物狂いで制作し、発表を続けた。作品を見た人から次々に声がかかり、「水と土の芸術祭2015」(新潟市)や原爆の図丸木美術館(埼玉県)、川崎市岡本太郎美術館などに出品。美術関係者らの評価につながった。

 「田中賞を取ったのは俺じゃないよ。俺を支えてくれた人たちでしょ。よく個性、個性って言うけど、人はみんなの思いが詰まった籠のような存在じゃないかな。震災後に与えられた恵みは計り知れないし、一生かかっても返せない。自分の力だけで生きていきたいと思っていたのが、人は誰も一人では存在できないと思えるようになったことがすごくうれしい」。最後に笑みがこぼれた。 (矢島智子)

 *三重県名張市の「センサート・ギャラリー」で18日〜26日、東京・銀座6丁目の「ギャルリー志門」で27日〜12月9日(3日休廊)に個展を開催。

 

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