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【土曜訪問】

沖縄から社会を問う 「土の人」が大賞受賞 山城知佳子さん(美術家、映像作家)

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 この社会と私たちに芸術は何をもたらすことができるだろうか。生まれ育った沖縄で、こんな大きなテーマを考え続けている人なのだと思った。山城知佳子(やましろちかこ)さん(41)は沖縄から社会を問い、政治を問い、作品は世界中で共感を呼び始めている。

 真っ白なユリ畑から、泥まみれの腕がいくつも伸び、手拍子を始める。二〇一六年のあいちトリエンナーレで発表した映像作品「土の人」は、大きな話題を集め、この秋「アジアン・アート・アワード」の大賞にも選ばれた。その幻想的で美しいラストシーンは、沖縄・辺野古で米軍の新基地建設に反対するおじいさん、おばあさんから着想を得た。

 機動隊の前で、地面に寝そべり、抗議する人たち。昨春、取材で訪れた山城さんは驚いた。みんな笑顔だった。三線(さんしん)が響き、手拍子が始まった。「ぶつかっていくんじゃなくて、歌うんだと。生まれ育った土地を守りたいという純粋な気持ち。しなやかで花のように美しいと思いました」

 ロケ地は、辺野古と、同じように基地建設に揺れた韓国・済州島。だが、作品の中で舞台やテーマが明示されることはない。ただ、おとぎ話のような不思議な物語を見終わった時、頭に浮かぶのは戦争や軍隊に翻弄(ほんろう)される人々の姿だった。「この世界の誰にでもあり得るとの思いを込めました。自分と関係ないとは思われたくなかった」

 那覇出身の山城さんは中学で画家を志した。大学院時代に英国に留学してビデオアートに出会い、映像作家の道へ。以来、テーマはほぼ一貫して沖縄をめぐる問題という。

 終戦時、父は九歳、パラオにいた。その父から戦争体験を聞いて育った。米軍が身近にある沖縄で、たとえばある女の子が被害に遭えば「あの子は私だったかもしれない」と思ってしまう。テーマは自然と定まった。

 そんな山城さんの転機になった作品が「あなたの声は私の喉を通った」(〇九年)。サイパン戦の巻き添えになったおじいさんが凄惨(せいさん)な体験を語る。その声に合わせて山城さんが“口パク”する。

 おじいさんを取材した時、ショックを受けた。カメラを回しながら、その言葉になぜか共感できない自分がいた。親の体験に接し、自分には戦争が理解できると思っていたのに。口パクは「取り込もうと思ったんです、言葉を。そうすると何か分かるかもしれないと思って」と言う。

 おじいさんの言葉を文字に起こし、声に出した。十回繰り返した。やがて、断崖が見えた。少年のおじいさんがいて、その目の前で、お母さんとお姉さんが飛び降りた。

 山城さんは泣いていた。「結局、私の想像なんですよ。他人の経験を共有することはできない。でも想像力で近づくことはできる」。人には限界がある。忘れたくないことも時がたてばおぼろげになる。だが想像力でその穴は埋められるかもしれない。

 「声が出せないもの。形になり得ないものに形を与えるのがアートじゃないですか。沖縄で起きる悲しい事件事故。いままで声を出せずに泣いていた女性がいたとする。社会で消えているように見えるその声に形を与えることができる。社会や人が抱える精神的な傷を癒やせなくても、心の中で整理できるかもしれない」

 記憶の継承は大きなテーマになった。この作品で山城さんの体に取り込まれた戦争体験者の声なき声は次作以降、海の中に潜り、森にこだまし、世界を漂う。そして、「土の人」は、そんな大切な言葉を忘れてしまった人たちの物語である。

 一方で、山城さんは沖縄をめぐる芸術に違和感も覚えている。基地問題や社会問題をテーマにした作品が期待され、本人にそのつもりはなくとも沖縄の社会を反映させて語られる。その状況を「呪縛的」と呼んだ。取材の最後、目標を尋ねると「この呪縛を解きたいですね」と笑った。 (森本智之)

 

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