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【土曜訪問】

俳句 人間 自由であれ 芭蕉追って60年「一匹フクロウ」矢島渚男さん(俳人)

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 「私は一匹オオカミならぬ一匹フクロウ」。俳句の世界で最高とされる蛇笏(だこつ)賞を矢島渚男(なぎさお)さん(83)が一昨年、句集『冬青集』で受けた折にこう述べた。大きな協会に属さない姿勢と、主宰する俳誌『梟(ふくろう)』にちなむ自己紹介だ。一九五七年、石田波郷に師事して本格的に始めた句作は六十年を超す。同じく青年期からライフワークとする古典俳諧の研究でも昨年、松尾芭蕉が『おくのほそ道』を推敲(すいこう)した過程に迫る『新解釈「おくのほそ道」』を刊行。大きな実りを迎える「一匹フクロウ」の俳句人生を今こそじっくり聞こうと、長野県上田市の自宅を訪ねた。

 「よく考えたら、オオカミと違ってフクロウはだいたい一匹でいますけどね」。書斎で穏やかに笑うその姿が、「知恵の神」であるフクロウとどこか重なる。

 「六十年やってて、何でこんなにへたなんだろうと思う。芭蕉は亡くなるまでずっと昇り続けた人。そうありたいもんだけどね」。「へた」とは、単に謙遜ではない。今なお他人の目にかなった句しか発表せず、『梟』に載せるのも句会で選ばれた数句だけ。「俳句は短いから、いい気になりやすいんです。独り善がりが一番怖い」。笑みは消えて、真剣な顔で語る。

 芭蕉との出合いは高校時代。国語の教科書で『おくのほそ道』を読んだ。正直言って分からなかったが、宿題でもないのに内容について論文を書いた。「分かんないのがしゃくで。何を書いたか忘れたけど、よっぽど引きつけられたのは確かですね」

 もっとも、俳句と芭蕉にすぐのめり込んだのではない。学生時代は海外文学に傾倒したが、ひょんなことで縁が再び結ばれた。「今の女房と出会って家に行ったら何と、おやじさんが俳句をやってたんだ」。加藤楸邨(しゅうそん)の『芭蕉秀句』を借りて読み、やがて波郷に、その没後は楸邨に師事した。「そのうち師匠のまねだけではだめだと思って、俳句の歴史をさかのぼった。高校の時の思いがどこかで続いてたんでしょうね」

 しかし芭蕉はやはり難解で「いきなり取り付くには歯が立たない」と感じた。地元の高校に教諭として勤めつつ、上田ゆかりの加舎白雄(かやしらお)や与謝蕪村ら江戸期の俳人を研究。『おくのほそ道』について『梟』でついに連載を始めたのは六十代に入ってからだ。

 「芭蕉は自句の解説はほぼしていない。謎を残し、何かを心の中に隠していたような生き方に引かれます」。連載では、『おくのほそ道』の初稿と最終稿を詳しく比較。たった一文字を繰り返し書き換えている生身の姿を浮き上がらせた。「ぼくは芭蕉を俳聖、神様と祭り上げはしません。同じ人間として見るからこそ彼の文学は素晴らしい」

 書斎の棚には、多くの本はもとより愛好するクラシック音楽のCDや古美術品、「好きで集めている」という貝殻が並ぶ。「年を取ると、貝って偉いなあと思えてね。人間は骨が残るかどうかだけど、貝は立派な貝殻を残す」。『冬青集』にもこんな句がある。<蝶(ちょう)は翅(はね)貝は貝殻のこし秋>

 これにとどまらず自然を詠んだ作品は多い。「人間も自然の一部。それを忘れるから間違いが起こるんですよ」。最近では、植物にも意識や感覚があるという話を聞いてこう詠んだ。<枯草は根で考へるハルハクル>。寒い信州の冬。「早く春が来ればいいなって気持ちが草にもあるとしたら、考えてるのは根っこじゃないかと思って」

 そうした思いから冬季五輪まで、話題は尽きない。「興味を持ったことは何でも詠む。俳句も人間も自由でなきゃ。何かをつくるってことは自由でなきゃ」。八十歳を過ぎて少年のような闊達(かったつ)さ。その根本にあるのは、幼いころの体験だ。

 十歳で終戦を迎え「それまでの価値観がひっくり返った」と振り返る。夏休みが終わると先生の言うことががらっと変わり、教科書に墨を塗った。「だから、信念とかナントカ主義っていうものは、どうも信じられない。既存のものはまた簡単に崩れるんじゃないかって。へそ曲がりなんだ」。ひょうひょうとした語り口の裏、時代と俳句に注いできた視線が静かにひそんでいる。 (川原田喜子)

 

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