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【土曜訪問】

言葉 私の命そのもの 四肢の自由失い再生を詠む 有沢螢さん(歌人)

自著について語る歌人の有沢螢さん(中央)。右は同居する画家の長谷川象映さん=東京都港区で

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 東京港にかかるレインボーブリッジが大きな窓から望めるマンションの一室。賛美歌を歌うような優しい声が響いていた。理学療法士らの介助で電動ベッドを起こし、声の主である歌人・有沢螢(ほたる)さん(68)が朝のリハビリを始めていた。

 有沢さんが四肢の自由を失って五年。闘病の中で詠んだ三百七十九首を時系列で編んだ第四歌集『シジフォスの日日』(短歌研究社)を昨年暮れに刊行した。「シジフォス」とは、ギリシャの神々に逆らったために大きな岩を山頂まで運び上げる罰を命じられた神話の人物。巨岩は山頂に着くやいなや転がり落ち、この苦役は永遠に続く−。

・黄色ブドウ球菌とふ美(は)しき名前の細菌がわが脊髄を破壊せむとす

・今日手術しなければ死ぬと言ひ切られ夜桜の下(もと)運ばれてゆく

・呼吸器につながれし異形の身のわれは一夜のうちに四肢麻痺となる

 東京の聖心女子学院中高等科で国語を教え、定年まであと二年という二〇一三年春。全身に痛みが走り、緊急入院。黄色ブドウ球菌の感染による化膿(かのう)性髄膜炎で脊髄が侵され、自発呼吸もできない状態に陥る。

・「呼吸器離脱の可能性は」

 と英語にて問ふ教授をり

 hopelessと答ふる主治医

・百年に百人ほどの例と聞きわが籤運(くじうん)の良し悪しを問ふ

 声の出せない状態が長く続いた。無論ペンは持てない。だが、歌作を諦めることはなかった。

・三十一回五十音図を読む友に頷(うなず)きながら歌は生まるる

 「なぜでしょうね。歌が私だったからでしょうか。韻文というリズムのある形でなければ乗せられない言葉が自分の中にあって、それは私の命そのものなんです」

 奇跡的に人工呼吸器は外され、三年前からは友人の画家長谷川象映(しょうえい)さん(66)の家で在宅療養を続けている。歌は驚異的な記憶力で頭に留め、折々に長谷川さんが口述筆記をしている。長谷川さんとは友人を介して四十歳のころに知り合った。魂が響き合い、独身同士いつかはルームシェアをして「新しい家族の形」をつくろうと話していた。

 有沢さんの人生は歌とともにあった。二歳で脊椎カリエスを病んでギプスベッドでの生活になり、六歳で手術を受けた際、病室での寂しさを慰めるために、俳人だった伯母(植村通草(あけび)さん)が短歌と俳句を手ほどきした。「歌を作ることで自分を支えていました。そしてまたベッドの上に戻ってきた…」

 世に病を詠んだ秀歌は多い。だが、有沢さんの歌集が読む人の心を揺さぶるのは、さまざまな人と交わる中で、不条理ともいえる人生を受け止め、自ら選び取ったといえるまでの過程が詠み込まれているからだ。

・転院の朝贈られし寄せ書きに「ありがとう」と書けり若きナースは

・見送りの青年作業療法士 患者輸送車追ひつつ涙

・煉獄と詠ひ出だせば叱りつけ希望に向かひて生きよと言ふ人

・「こんな目におあひになつて」と泣く人にさうは思はぬ我に気づけり

 「自分が損をしてでも人の役に立つことを良しとしてきましたが、人のお世話になる一方になり、役に立とうと思うこと自体がうぬぼれているのかなと思うようになりました。人は生きていることを受け入れてもらっているだけで感謝すべきなのではないかと」。だから、障害者を無用の存在として殺傷した「津久井やまゆり園」事件には強い衝撃を受けた。

・やまゆりの園生(そのふ)の闇に振るはれし刃はわれの心をも刺す

・愛さるるために生まれしいのちみな祝されてをりその実存を

 「役に立つという考えは傲慢(ごうまん)だと考える一方で、自分が生きたことで何か伝わるものがあればいいなとも思うのです。言葉をできるだけ遠くに飛ばしたい」。歌人としての業のような願いは確実に、読み手に届きつつある。「短歌の世界で『再生』と表現できる作品に初めて出合いました」と書かれた手紙が届いた。

・「神様に返されし命」 何にでも挑みてみむと思ふ早春 (矢島智子)

 

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