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【土曜訪問】

相手の心触れられた 出会い系で70人と会い本を薦めたら… 花田菜々子さん(書店店長)

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 <とりあえずの着替えと生活用品をスーツケースに詰めて職場に持ち込み、家のない生活を始めてから1週間になる>

 「わあ、大丈夫?!」と声をかけたくなるような出だしの実録私小説が今月、出版された。題名は『出会い系サイトで70人と実際に会って その人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』。長いタイトルはそのまま、著者の花田菜々子さん(38)の実体験だ。

 執筆したのは「出会い系という言葉で偏見を持たれがちだけど、自分にとっていいことだったから」という。「人生が変わりました」

 五年前の冬。書店勤めの花田さんは、ファミレスで冷めきったコーヒーをすすっていた。夫とうまくいかなくなり、家を出たのだった。簡易宿泊所やスーパー銭湯、カプセルホテル…。毎日、その日の寝場所を探すことに疲れ果てていた。

 休日は夫と過ごしてきたから、何をしていいのか分からない。当時は本と雑貨を売るチェーン店の店長だったが、その仕事にも行き詰まりを感じていた。もうこんな狭い人生はいやだ。新しい世界を知りたい−。

 そんなとき偶然、「知らない人と三十分だけ会って、話してみる」という奇妙な出会い系サイトの存在を知った。恋愛目的ではないところに惹(ひ)かれた。

 やり方はこんなふうだった。自分のプロフィルを登録し、「○月○日17時 渋谷近辺」と、時間と場所を設定し、メッセージを添える。その情報を見て申し込んでくる人を、こちらが選ぶ。または同様に、自分が相手に申し込む。

 「基本の時間設定は三十分なんです。この人とは合わないと思ったら、三十分で切り上げられる」

 最初に出会ったおじさんは、夫と別居した話をすると、ひたすら「セックスの話」に持って行きたがった。軽く断ると、別の話で盛り上がれた。「性的な誘いをされても、割と冷静に『あ、こういう手口もあるのか』と感心してしまって」と笑う。

 会う相手に関心を持ってもらうため、書店員として磨いた「本を紹介する」特技を使った。それは同時に、見知らぬ人に本を紹介する「修業」にもなった。素早く相手の話を聞き出し、その人の性格や置かれている状況を想像する。「あなたの長所はこうだと思うから、こんな本を薦めたい、と言うようにしました。たとえ相手が紹介した本を読まなくても、良い記憶にしてもらえるかなと」

 初対面の相手は、花田さんが私生活や仕事で落ち込んでいることを知らない。「いつの間にか明るく話していて、これが私?と驚いた」。出会いを重ね、生きる意欲が戻ってきた。そしてひたすら本を薦めるうちに、「やっぱり本が好き。読むべき本を相手に届けたい」との思いは強まった。

 あるとき、勤め先の書店に来た若い女性が「母を亡くしてしまって…。それで、何か本を読みたいんです」と涙ぐんだ。苦痛を和らげたいのか、悲しみと正面から向き合いたいのか。考え抜いて複数の提案をしたとき、これまでの「修業」が役立ったと思った。

 大勢の人と出会って得た宝物は、「人は人に優しくできる」と信じられたこと。本を薦める喜びは「それを口実に、人の心に触れられる気がするときがあるから」。

 花田さんはいま、東京・日比谷に今春オープンしたばかりの女性向け書店の店長を務めている。カレーの本の書棚の横にはスパイスが並べられるなど、各所に工夫が光る。ベストセラーから知る人ぞ知る一冊まで多様な品ぞろえだ。

 ずうずうしくも個人的に、「九十歳の祖母と老犬の寝息を、夜中につい確認してしまう。不安な毎日にオススメの本はありますか」と聞いてみた。真剣な表情で考えてくれた。「川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』はどうでしょう。さえない日々を送る女性が主人公で、純愛物語になるかと思いきや、すべて夢ではと思わせるラストです」

 「どの本がいいかな…」と繰り返す花田さんの顔を、いつの間にか吸い寄せられるように眺めていた。自分のために初対面の誰かが懸命に思いを巡らせてくれる。それだけで、じんわり胸が温かくなる。ああこれか、と腑(ふ)に落ちた。

 (出田阿生)

 

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