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【土曜訪問】

揺らめく存在の余韻 愛猫の死描く『ハレルヤ』刊行 保坂和志さん(作家)

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 ペチャ、ジジ、チャーちゃん、花ちゃん。作家の保坂和志さん(61)がこれまで自宅で飼った猫たちだ。昨年末、最後の一匹だった花ちゃんが旅立った。最新小説集『ハレルヤ』(新潮社)の表題作は、その愛猫との別れを描いている。とはいえ嘆き悲しむ物語ではない。「死んでもいなくなるわけじゃない。死は悲しいだけのものではないと、読む人が感じられればいい」。猫についての話はいつの間にか、小説論へとつながっていく。

 保坂さんの小説は、あらすじや感想を書くのが難しい。物語を推進するための事件は起こらない。著者自身と思われる「私」が作中であれこれと考え、一見するとエッセーのようで、でもやはり違う。そして、よく猫が登場する。

 「猫がいるから僕は世界の美しさが分かる。恋人がいると世界が明るくなるのと同じ。猫と付き合うことで、僕の世界では花の美しさが与えられ、朝の光のまぶしさが与えられる」

 最初にペチャを飼い始めたのが一九八七年四月。以来三十年間、猫の世話を続けてきた。「僕はひたすら猫に奉仕する立場。それがいいんです。みんな何の役に立つのか、どんな見返りを得られるのかということにとらわれ過ぎ。犬と違って猫は役に立たないのがなおいい」

 花ちゃんは九九年、墓参りに訪れた東京・谷中墓地で拾った。当時はチャーちゃんが若くして死んで間もないころ。もらい手を探そうとしたが、左目を失明していることが分かり、自宅で引き受けた。

 「すぐ死ぬのでは」との心配をよそに、花ちゃんは十八年八カ月の天寿を全うした。リンパ腫の発症、抗がん剤治療の決断、奇跡的な回復…。表題作では、最後の一日一日の中で「私」と「妻」の至る、さまざまな“気づき”が読み手に強い印象を残す。<神さまはこの猫を私たちのそばに置いておくために片目にしたのだった><ペチャもジジも花ちゃんも存在の余韻や残像や残り香はまだ地上か空間で揺らめいている>

 「読んでいるときの『ああ、そうなんだ』が大事なんです。読み終わって忘れちゃってもいい。美術や音楽も一緒で、絵から離れると『見てない人にはうまく言えないな』ってことになるでしょ。読んでない人にも六割方の説明ができる、みたいな書き方じゃだめなんだよね」。文芸誌の連載論考で小説について長年考え続けた作家だけに、その言葉には実感がこもる。「理屈で読み過ぎちゃだめなんです。こっちは頭で書いてるんじゃなくて体で、全身で書いてるんだから」

 本書には、花ちゃんとの出会いを描いた九九年発表の小説「生きる歓(よろこ)び」も収録されている。この構成がうまい。花ちゃんのその後の十八年余の生を知った読者には、まだ子猫のころの描写に新たな意味が付加されて読める。<時間においてはいつも過去と現在が同時にある>という表題作中の言葉とも呼応する。

 「最初から効果を考えていたわけじゃなくて、あった方が分かりやすいかな、という素朴な理由。でも置いてみたら、一冊を構成する作品になった」

 長年の読者として、保坂さんに聞きたい質問があった。近作になるにつれ、どんどん文体が自由になっているのはなぜか。それも、時に日本語の文法を逸脱するほどの自由さで。「ずっと小説家をやっているわけだから、そりゃ変わってくるんですよ。今は極力、頭の中を去来する考えに近くなるよう書いています。頭の中の考えってセンテンスになっていないことが多いから、校閲は困っているかも。でも、ゆがんでることって大事なんだ」

 最後に、よけいなお世話の心配事も一つ。飼い猫がいなくなって、今後、保坂作品に猫が登場しなくなってしまうのではないか。

 「だから、いなくなったわけじゃないんです」。笑いながらたしなめられる。「不思議なほど家に猫がいる感じがする。夫婦の会話もずっと猫のこと。前に『猫に時間の流れる』って小説を書いといて何だけど、やっぱり猫は時間の流れの外にいる感じがするね」。そう言われ、胸をなで下ろした。 (樋口薫)

 

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