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【土曜訪問】

甘んじない、もっと先へ 20周年 『国宝』で歌舞伎界描く 吉田修一さん(作家)

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 「自分でも忘れてるけどちゃんとつながってる。歩いてきた感じがしますね。ちょっと感動したなぁ」

 都心で行った作家吉田修一さん(50)へのインタビューの冒頭。本紙の過去記事を見せると、思いのほか素直な言葉がこぼれた。

 実はこのコーナーに出ていただくのは三度目だ。一度目は二〇〇二年に『パーク・ライフ』で芥川賞に選ばれた翌年。二度目は『横道世之介』で柴田錬三郎賞を受賞する二〇一〇年。そして今回は、作家生活二十周年を飾った『国宝』(朝日新聞出版)が単行本になったタイミング。十五年間で三回の登場は、第一線で息長く活躍してきた証しでもある。

 都市小説、青春小説、恋愛小説、犯罪小説…純文学からエンタメまで、あらゆる作品を書いてきた。器用で引き出しの多い作家だと衆目の一致するところ。でも、「そう言われるのは快感だけど、実は逆。引き出しが少ないから、外に向かうしかない。毎回必死こいてやってます。器用だったらもうちょっと楽していいはずだもの」と苦笑する。

 新境地に次々と挑むモチベーションの源は、大ばくちを好む性格にあるという。「チャンスをもらったからには新しいことにチャレンジしたい。『できる』と分かってることでなく、全力でやらないと追い付かないことに」。どんなスタイルであれ、描きたいのは人生の悲しみや切なさだ。

 万華鏡のように物語を生む作家の正体を知りたくて、どういう作品が一番自分らしい?と聞いてみた。「僕はゼロなんですよ。本当にそういうのが何も無い。空っぽなんです」と、つかみどころの無い答え。“空っぽ”だからこそ成功体験にとらわれず、自由な創作ができる−そう受け止めた。

 作家十周年で発表した『悪人』で、犯罪小説という新たな路線を見いだした。昨年、二十周年の節目を迎えるにあたり「何かやってやろう」と山っ気がうずいた。ぼんやり構想したのが、一流を追い求める人間の一代記。そこにピタリとはまったのが歌舞伎だった。『国宝』は、九州の任侠(にんきょう)一家で生まれ育った立花喜久雄が、歌舞伎の女形として大成するまでを追った上下巻の大作。高度成長期に変貌する芸能の世界も生き生きと描ききった。

 当初は歌舞伎の知識がほとんどなく、観劇中に寝てしまうほど。それでも生活の七割を歌舞伎に費やし、舞台やDVDを何百本も鑑賞した。「歌舞伎の中に流れる時間みたいなものに自分が合ってきた。気付いたら舞台から目が離せなくなってました」。役者の中村鴈治郎さんの知己を得て、黒子として舞台に上がらせてもらったことも。目の当たりにした役者たちの表裏の姿を作品に投影した。

 一六年から芥川賞の選考委員を務めている。選ばれる側にいた青年は、気付けば選ぶ側に。周囲から「作家としてもうアガリじゃないか」とも言われる。「自分的にはマラソンで十キロ、十五キロぐらいで、まだ半分も行ってない感じ。だからそう言われ、『いやいやいや』と心外だった。そのギャップが自分なりに消化できてない。まだもっと先に行ける気はしています」。目指す頂の高さは、自信の裏返しでもある。

 「いい作品を書けた喜びに勝るものはない」「小説を書くほかは何もできなくて…」「誰にも求められなくなっても書き続けます」。言葉の端々に書くことへの情熱がにじむ。担当編集者が「選考委員をしながらベストセラーを出し続ける稀有(けう)な存在」と評するこの作家の特質は、職人のような純粋さにありそうだ。

 「いろんな人に会い、いろんな経験をするうちに世界が広がってきた」という。八年前のインタビューでは、時間的な広がりを持つ大きな作品を書いてみたいと語った。伝統がテーマの『国宝』は、まさにそれ。まるで長期的なプロットに沿って作家生活を進めているかのようだ。

 「過去にスランプはありましたか?」。ふと気になって尋ねると、虚を突かれたように考え込んだ。「その質問は初めて受けたなぁ。うーん…」。記憶をたどる長い沈黙が、答えを物語っていた。そういうものとは無縁の二十年でした−と。 (岡村淳司)

 

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