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【土曜訪問】

人生の全てが詰まってる 37年かけ大河小説『流転の海』完結 宮本輝さん(作家)

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 執筆開始から三十七年。全九巻、原稿用紙七千枚。作家の宮本輝さん(71)が、ライフワークとしていた大河小説『流転の海』シリーズを完結させた。長い読書の旅の果て、最終巻『野の春』(新潮社)のラスト五行を読む時、思わず本を持つ手が震えた。これはまさに「一生に一度は読みたい小説」。書き終えた作家は何を思うのか。それを聞きたくて、兵庫県伊丹市の自宅を訪ねた。

 「今年の四月六日に最後の一行を書いたんです。『あ、書き終えた』とぼうぜんとする感じがあって、次に来たのが『疲れたなあ』という実感。二、三日して『偉いな、俺は本当によくやった』という思いがわいてきました」。静かな口調の中に、深い充実感をにじませる。

 自身の両親をモデルにした実業家の松坂熊吾(まつざかくまご)と、その妻・房江がシリーズの主人公。第一部は終戦間もない一九四七年三月に始まる。五十歳にして初めて念願の息子・伸仁を授かった熊吾は<伸仁が二十歳になるまで俺は生きなければならぬ>と決意する。

 以降、熊吾一家がたどる数奇な運命は、宮本さんの幼少から青年期の足取りとほぼ重なる。熊吾は病弱な伸仁を心配し、大阪での事業を畳んで故郷の愛媛・南宇和に移住。その後、再起を図るがうまくいかず、伸仁は富山、尼崎、大阪を転々とする。

 宮本さんが第一部の連載を始めたのは三十四歳の時。まだデビューから四年後だった。「当時の自分には五十歳の男の体力や精神性、生理的なものは書けないと思った」。そこで時間をかけて取り組むうち、全三巻という当初の予定が五巻、七巻、そして九巻と膨らんでいった。

 「自分でも、いつになったら終わんのやろと。六十歳を過ぎ、『未完の大作』という言葉が頭をよぎりました。でも読者から『完結編を書くまで絶対に死なないでください』と手紙をいただいて、これはもう自分の使命、人間としての責務だと。そういう励ましのおかげで完結させることができました」

 強い印象を残すのが、伊予弁で息子を諭す熊吾の金言の数々だ。<なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん><自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん><お天道さまばっかり追いかけるなよ>。いずれも実際に父から薫陶を受けた言葉だという。

 戦前、自動車部品の輸出業を営み、才覚を発揮した熊吾は時流を読む眼力にたけ、人情にもあつい。一方で女癖が悪く、ささいなことで激高して妻に手を上げる。「熊吾という人は良くも悪くも『明治の男』でした。でも、とても温かい人でした」。宮本さんの心の中で、父親と熊吾はもう混然一体の存在となっているようだ。

 熊吾は多くの人々と交わり、作中に登場する人物は千を超える。ある者は熊吾を裏切り、ある者は恩に報いる。人がまっとうに生きるとはどういうことか、深く考えさせられる。

 「ある時から、熊吾と房江を狂言回しにして、戦後の大変な時代を生き、世の中の土台を支えた庶民たちを描こうと思うようになりました。二人がふれ合ったすべての人々、その全く無名の生老病死を書こうと。大きなことを言うようだけど、この小説には人生のすべてが詰まっています」

 ラスト五行の文章は、前から決まっていたという。「これだけ長い小説だと、最後は『これで終わりだ』と盛り上げたくなるもんなんです。でも、僕はそういう小説があまり好きじゃない。いろんな急流、濁流があり、静かに流れる場所もあった、そういう大河がゆっくり海へ注いでいく。どこまでが河でどこまでが海かも分からない。そういう終わり方にしたかった」

 熊吾は経済的には没落するが、息子を二十歳まで育て上げるという大願を成就し、七十一歳の春に息を引き取る。同じ七十一歳の春、宮本さんは作家としての本懐を遂げた。「貧乏もしたけど、僕くらい大事に育ててもらった子はいない。親孝行ができました」と目を細める。「一生に一度」の大作を書き上げた作家はこういう顔をするのだな、という表情だった。 (樋口薫)

 

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