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【土曜訪問】

世界での出会い 糧に 開高健ノンフィクション賞を受賞 川内有緒さん(ノンフィクション作家)

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 ノンフィクション作家、川内有緒さん(46)を知ったのは、出版社の読書情報誌がきっかけだ。『空をゆく巨人』(集英社)が第十六回開高健ノンフィクション賞に輝き、顔写真と受賞の言葉が載っていた。だが、目を引いたのは少し変わった経歴。<日米の民間企業やフランスの国連機関に勤務し、国際協力分野で12年間働いた後にフリーのライターに>。世界を舞台に華々しく活躍するイメージの国際公務員から、なぜ書くことに進んだのか。意外な方向転換に興味が湧き、東京都内の事務所を訪れた。

 「新聞の方って、尋問形式ですよね。まずは生年月日から確認させてくださいって」。受賞を機に取材が増えているらしく、川内さんから早々に鋭い指摘を受けた。飾らない語り口に場が笑いに包まれ、緊張が解けていく。

 聴取した経歴は、やはりユニーク。東京で生まれ、映画制作を学ぼうと日大芸術学部に入ったが、四年時には「広い世界を旅したい気持ちが強く」海外に目を向けた。卒業後に一念発起して米国の大学院で中南米地域研究学を修める。現地のコンサルティング会社と日本のシンクタンクを経て、三十一歳のとき、パリに本部を置くユネスコ(国連教育科学文化機関)へとはばたいた。

 だが、二千倍という高倍率を勝ち抜いて得た席を、川内さんは五年半で去る。一見華やかな職場だが「矛盾の多い組織に感じられて」。そして退職後の二〇一〇年、料理人やカメラマンら、パリに住む日本人を取材した『パリでメシを食う。』でデビューした。

 脈絡がなさそうだが、実はそれまでの仕事が、ノンフィクションの書き手になる素地をつくった。コンサルタントや国連では、書くのは千ページにも及ぶ報告書ばかり。現地の人から興味深い話を聞いても発表する場はない。「報告書って本当に無味乾燥で、こぼれ落ちていく物語がもったいなくて。そういう話を聞くにつれ、もっと書いてみたい気持ちが出てきたと思う」

 国連で働き始めた一年目から在住日本人に話を聞き、書きためるようになった。「時間もあるし、最初は自分の表現の手段として何となく始めたんです」

 書くことは小さいころから好きだった。中学時代はSFや青春ものの小説、高校生になると「よしもとばななさんや村上春樹さんに衝撃を受けて、大人っぽいものも」書いたほどだ。

 デビュー以降の執筆も精力的。旅をしながらバングラデシュの吟遊詩人を追った『バウルの歌を探しに』(新田次郎文学賞)、自身の経験を記した『パリの国連で夢を食う。』、大切な人の死と向き合う人々を取材した『晴れたら空に骨まいて』…。そして十一月下旬、五作目として刊行したのが『空をゆく巨人』だ。

 主人公は福島県いわき市の会社経営者・志賀忠重氏と中国出身の現代美術家・蔡國強(さいこっきょう)氏。蔡氏は北京五輪の開会式で空に巨大な足形を花火で描いた人、と言えばピンと来る人も多いだろう。ニューヨークを拠点に活動する現代美術界の巨星だが、本作は無名だった一九八〇年代から続く二人の交流を描く。日本、中国、米国、北極などに舞台を移し、蔡氏に劣らずパワフルな志賀氏にも圧倒される。

 川内さんが書こうと決めたのは、志賀さんと出会って約二年後だった。当初は単なる交流というテーマでは、一冊書ける気がしなかったという。「二人の故郷への思いとか、違いへの寛容性を失いつつある社会の中で国境を越えて長い友情を保ち続ける姿とかを書くことに意味があると思いました。いろんな思いが熟して書ける気持ちになった」

 ただ、身の回りから取材した過去四作に比べて執筆は苦しかった。「直接関係ない人に話を聞き、資料を集めて読み込んでまとめていく。自分にとって新しい挑戦だった」。だからこそ書き終えた今、「あぁ、こういうのも書けるんだな」と新たな自信を得た。

 担当編集者による川内さん評は「主人公の二人に匹敵するくらいスケールの大きな人」。どの作品も国内外を自由に行き来し、縮こまった視界をばーんと開いてくれる。思わずうなずいた。 (世古紘子)

 

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