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【土曜訪問】

一塗りに使い手思う 「盛り上げ駒」で天童産を表舞台に 桜井掬水さん(駒師)

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 強い陽光は繊細な手仕事を妨げる。だから工房は、北側に大きな窓がある。雪に映えた柔らかな光が差し込む机。そんな静かな空間で、桜井掬水(きくすい)さん(70)は来る日も来る日も小さな木片と向き合っている。「作る前はこんなふうに仕上げたいと妄想するけれど、いつもそれに届かない。到達点がないがら、打ち込めるんだと思います」。穏やかな山形弁の奥に、職人としての気概がのぞく。

 山形県天童市は全国の将棋駒の九割を生産し、「将棋のまち」として抜群の知名度がある。訪れる前は雪深い山里のような場所をイメージしていたが、実際は山形新幹線の駅や東北中央自動車道のインターがあり、県内屈指のにぎわいがある。近年は郊外に大型ショッピングセンターもでき、ベッドタウンとして人気を集めているそうだ。

 桜井さんは、そんな町で七人きょうだいの末っ子として生まれ育った。地元工業高校の機械科を卒業して勤め人になったが、ものづくりへの思いが募り、二十代で将棋駒を作る「駒師」に転身。今や全国トップクラスの職人として知られ、伝統工芸士にも認定されている。

 スタンプ駒、書き駒、彫り駒…将棋駒にはさまざまな種類がある。桜井さんが手掛けるのは、蒔絵(まきえ)の技法を取り入れた最高級品の「盛り上げ駒」だ。工程はこう。まず御蔵島(東京都)産のツゲの原木を駒形に切削する。それに字形を書き写し、彫りを入れる。彫った溝を漆で埋め、さらに塗り重ねて文字を浮き出させる−。猫の毛を結った筆やイボタロウムシが分泌するロウなど、特殊な道具を使った手間のかかる作業。ひとそろえ仕上げるのに、着手から二カ月ほどかかるという。

 「ここに至るまでに、たくさんの苦労がありました」。桜井さんはしみじみ振り返る。実は天童の駒は機械製造の量産品が主流で、都会の職人が作るような高級駒に縁がなかった。一九五一年、市内で初めての公式棋戦として第一回王将戦が行われた。その際、地元業界が「天童の駒を使ってほしい」と申し出たが、盤に並べられることはなかった。

 「天童の駒は使えない」。桜井さんの兄弟子の村川秀峰さん(故人)も四十年前、中部棋界の祖・板谷四郎九段(同)の言葉にショックを受けた。質より量の駒は、トップ棋士の戦いにふさわしくない−そう断じられたのだ。

 桜井さんは、村川さんに喫茶店に呼び出された。「自分たちでタイトル戦に使える駒を作ろう」。熱っぽく語る兄弟子に共鳴し、二人三脚の奮闘が始まった。桜井さんは手探りで盛り上げ駒の研究を進める一方、市内の意欲的な職人らに呼び掛けて「銘駒(めいく)工人会」を発足。仲間たちと一心に腕を磨いた。

 やがて努力が実り、タイトル戦に少しずつ天童の駒が登場するようになった。桜井さんの駒も、羽生善治九段が前人未到の七冠同時制覇を成し遂げた一九九六年の王将戦など、華々しい舞台で使われている。

 ただし、“最高の駒”は職人だけで完成しない。実際に対局で指され、長年大切に手入れされることで、味わいを深めてゆく。「作り手が『よいものができた』と満足して終わりじゃない。全ては使い手がいればこそ。それが道具というものです」。原木の種類、木目、字体…注文を受ければ、顧客の要望を満たすことに全力を尽くす。それがどんなふうに使われるかは、己の手が届かないところ。「だからといって、できた駒を渡したくないと思ったことはありません」と目を細める。

 五時間近いインタビューの間、桜井さんは終始謙虚だった。それでも「日本の伝統文化を道具作りで支えている自負はある」と静かに語ってくれた。長男は淘水(とうすい)、長女は小楠(こなん)の号を名乗る駒師になった。近年は市の事業に協力し、計画的な後継者育成にも取り組んでいる。

 「駒作りは感性が大事だがら、手取り足取り教えたりはしません」。工房では親子三人が、黙々とそれぞれの作業に打ち込んでいる。出羽の山々のふもとで磨かれた技は、そうやって受け継がれてゆく。 (岡村淳司)

 

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