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【考える広場】

不倫あるいは「愛」と「義」の関係

 人の道に背く恋愛である「不倫」。今年は、人気タレントやミュージシャンなど有名人の不倫が相次いで発覚し、厳しい批判を受けた。人に対して抱いてしまった愛情と、人として守らなければならない正義の間で揺れた人たち。そこから見えてくるものとは?

◆非難も美化もできぬ 作家・千早茜さん

作家・千早茜さん

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 「どうして不倫の話ばかり書くんですか」と、読者から不満を言われることがあります。確かに私の本の主人公は、あまり悩まずに不倫する傾向があるかも。もちろん不倫される側の苦しみも想像した上で書いているんですが。夫の不倫に悩む主婦の話を書いたときには、同じ不倫の話でも不満は聞こえなかったですね。

 そもそも私は「恋愛小説」を書いている意識がないんです。むしろ恋愛に限らない、人と人との多様な関係性を描きたい。友人とも恋人とも言えない関係ってあるじゃないですか。それに名前を付ける代わりに、物語にしていく。不倫だって本当に好き合っている関係、体だけの関係、いろいろある。でも、法律や社会は「不倫」という名前でひとくくりにしてしまう。そこで取りこぼされたものを拾っていくのが文学だと思っています。

 もちろん、自分が不倫してもいいと考えているわけじゃないし、夫がしたら嫌ですよ。でも百パーセント安心なんてことはない。不倫って愛情の問題というより、趣味みたいなものだと思っています。する人はするし、しない人はしない。今していなくても、いつかはまるかもしれない。ギャンブルのように、円満な夫婦生活を壊す可能性の一つとして常にある。それを意識していた方が、緊張感のある日常を送れると思います。

 不倫した芸能人がバッシングされていますが、私個人は、他人の色恋に口を出すものではないと思っています。友達が不倫していると聞いても、驚くかもしれないけど、無理に止めたりはしません。人に良識や倫理観を期待しているから、非難がましいことを言ってしまうのかも。でも、人間はそんなにきれいじゃない。自分も汚いし、周りの人間も同じくらい汚いと思っているので、棚に上げて怒るなんてことはできません。

 ただ、男性が「本能」を持ち出してきて不倫を正当化しようとするのだけは許せません。「いろんな女性を追い掛けるのがオスの本能」とか。そんなに本能を抑えられないなら社会に出てくるなと言いたい。

 あとは私自身の好みとして、「愛があるから」と自分たちを正当化し、美化する不倫は書きたくないですね。やはり傷ついている人がいるので。本当の愛だというなら、別れてから付き合えばいいわけですから。

 (聞き手・樋口薫)

 <ちはや・あかね> 1979年、北海道生まれ。立命館大卒。2009年、デビュー作『魚神(いおがみ)』で泉鏡花賞。13年、『あとかた』で島清恋愛文学賞。9月に新刊『夜に啼(な)く鳥は』が発売。

◆袋だたきの裏に「慢」 僧侶・小池龍之介さん

僧侶・小池龍之介さん

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 最近相次いだ不倫報道では、不倫した有名人たちよりも、関係のない第三者でありながら彼らを非難した人たちの攻撃性や不寛容の方が気になっています。今の日本人の無力感を見るからです。世界の中で日本はどんどん沈没し、グローバルな状況に翻弄(ほんろう)されている。そんな中で自分の将来もどうなるか全然見通せず、無力感にいらいらする人が多くなっているのでは。

 そんなとき、不倫や覚醒剤に手を染めた芸能人を非難したり、不法行為をした中国人や韓国人をたたいたりすることで万能感を得る、少なくとも無力感を一瞬忘れることができる。ニーチェが言う「権力への意志」です。人間には、自分が有力であると感じたいという根源的な衝動のようなものがある。仏教的にいえば、慢心の「慢」という煩悩です。

 たたいているとき、相手は「悪いことをしている好ましくない人」で、世の中の全ての人がたたくことに同意するであろうということが前提になっています。自分は正義の側におり、相手は弱者。自分がたたかれる心配はない。絶対に勝てるひきょうな戦争なのです。それは、謝り続けなければいけない反撃もできない最弱の人間を袋だたきにしているようなものです。

 不倫をしていいと言っているのではありません。私自身も過去にしてしまい、ひどく後悔しました。不倫は、されてしまった相手を深く傷つけます。ドライに申すなら、「自分の価値が下がった」と感じさせられるため、自尊心がズタズタになるのです。ただ、不倫をしないというのは自他を傷つけぬために自分に課す道徳であり、誰かがそれを犯したからといって他人が責めるのはいじめという「不道徳」です。

 他人の不道徳を口実にしてバッシングしたくなるのは、一つには、いじめてスカッとしたい。もう一つには、自分はルールを守るために、本当はそういうことをしたいけど我慢しているという意識があります。「こっちは我慢というコストを払っているのに、あいつはコストを払っていない」と思うから腹が立つのです。裏には「汚れた理由」があります。ねたみ、いじめ、慢心。それを隠して誰かを責めたり、道徳を強制しようとしたりするのはいやらしい。早くそれに気付いて、「慢」の煩悩を脱することこそが必要です。

 (聞き手・大森雅弥)

 <こいけ・りゅうのすけ> 1978年生まれ、山口県出身。東京大卒。月読寺(神奈川・鎌倉)住職。2003年、ウェブサイト「家出空間」を開設。『考えない練習』『坊主失格』『しない生活』など著書多数。

◆不幸減らす手だてを 「ホワイトハンズ」代表理事・坂爪真吾さん

「ホワイトハンズ」代表理事・坂爪真吾さん

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 「不倫」という言葉が浸透したきっかけは、一九八三年のテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」です。それまでの「よろめき」「浮気」よりも本気度の高いイメージです。携帯電話やSNSの発達で個人同士がつながりやすくなった現代は、史上最も不倫しやすい社会といえます。

 不倫報道に明け暮れたこの半年間を見ると、ただの個人バッシングに終始している感じがします。「不倫するなんてけしからん」とたたくだけで、なぜ不倫が起こるのか、制度や社会にどんな問題があるかまでには議論が進みません。

 歴史的に見て、不倫を完全に防げた社会は存在しない。どんな国や時代でも、不倫は起こり得る。不倫をインフルエンザのような感染症ととらえて、重症化しないためのワクチンを探すべきだと思います。

 例えば、できるだけ幅広い世代に異性の友人関係を分散させることで、特定個人との関係が深くなることを防ぐ。友人や仲間という立場で、お互いのメリットとなる関係性を築いていけばいい。異性との交友関係を狭めるのではなく、広く薄く付き合うのがワクチンになる場合もあります。

 かつて広まりかけたワクチンが「オープンマリッジ」という考え方。夫婦間で事前に「ほかにパートナーをつくってもOK」という契約を交わす。七〇年代の米国で一時的にブームになりましたが、普及はしませんでした。最近では「ポリアモリー(複数恋愛)」という概念が日本のメディアで取り上げられるようになりました。これは「責任ある非一夫一婦制」で、新しいパートナーを増やす場合、今のパートナー、そして新しいパートナー双方の同意が必要になる点が、不倫とは異なります。

 昨年、米国の最高裁が同性愛を憲法上の権利として認める判決を出したり、国内でも東京都渋谷区で同性パートナーシップ条例が制定されたりするなど、性的少数者(LGBT)の差別解消が徐々に広がっています。「同性愛がOKなら複数恋愛もOKじゃないか」との機運が出てくる可能性もゼロではない。

 今必要なのは個人バッシングではなく、不倫で不幸になる人を少しでも減らすための議論です。不倫でダメージを受けるのは本人たちだけではなく、子どもたちもなのですから。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <さかつめ・しんご> 1981年、新潟県生まれ。東京大卒。2008年に障害者の性介助などを行う非営利組織「ホワイトハンズ」を設立して代表理事に。著書に『はじめての不倫学』(光文社)など。

 <不倫> 配偶者以外と関係を持つことはかつて、直接的に姦通(かんつう)と呼ばれた。戦前の刑法では、妻が行った場合のみ、夫の告訴で妻と相手の男が「姦通罪」で処罰され、夫が行った場合は、相手が人妻でなければ処罰されなかった。戦後、姦通罪の規定は削除されたが、民法上は不法行為として損害賠償の対象になる。今年相次いだ不倫では、タレントのベッキーさんのように、番組出演の自粛などの社会的な制裁を受けた人もいる。

 

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