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【考える広場】

100歳の世界

 もうすぐ敬老の日。長寿の国日本だが、めでたく百歳を迎える人は少ない。どうしたら元気でいられるのか、この百年の間に何を見、感じたのか、そして今、伝えたいことは何か。三人の一世紀人に聞いた。

◆「欲張る」ことが大事 日本初の女性報道写真家・笹本恒子さん(102歳)

笹本恒子さん・提供写真=(c)小西康夫

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 足を骨折して歩けなくなり、昨年からサービス付き高齢者向け住宅で暮らしています。三食おやつ付き、お風呂も入れてくれて、本当に至れり尽くせり。一人で暮らしているよりは安心ですけど、自由を愛する私としてはノーサンキューと思うこともありますね。

 暇な時間は原稿を書いて過ごします。花にまつわるいろんな人の思い出を本にしたくて。室生犀星や徳富蘇峰といった著名な方々だけでなく、最後の親孝行と思って両親も入れます。天気がいいと外に出て写真を撮りたいけど、今はあんまり自由に動けない。早く車いすとさよならしたいです。今は週三回、リハビリに取り組んでいます。

 私は本当に異端者。女の子はみんなお嫁さんになろうと思っていた時代に、小さいころから自分は何かになりたいと思っていました。一番は絵描き。無理なら作家か新聞記者。女学校の時にそれを先生に言ったらびっくりしていました。

 各界で活躍する明治生まれの女性を百人ぐらい取材して、写真と文で紹介する本を作りましたけど、彼女たちはご飯作って、赤ちゃん背負って、お洗濯して、その合間に自分の仕事をしてきたわけです。それで男性と同じようなことがやれたのは並大抵の努力じゃなかった。一人一人に「私はこれができる。男の人以上のことをやる」という大変な意識があったからです。

 昔は男と女では人間の位が違うみたいだった。私も取材に行くとばかにされて「えっ、あんたが写すの」なんて役人に言われました。だからお役所に取材に行く時は、わざと大きいカメラを持って行きました。ライカなんて持って行ったらおもちゃだと思われますから。

 日本は女、男と区別するのがいけません。同じ人間として見ない。今に女性の議員や社長が珍しくなくなれば変わるでしょう。女の人は男の人にはできないちょっとした心遣いがあるような気がします。

 仕事を続けていると、年齢による変化をあまり感じません。世の中の動きを見て、いつも誰かに会いたいと思っています。貪欲なんですね。今は、とにかく作家の大江健三郎さんを取材したいです。今の人は知りたいとか、海外に行きたいとか、そんな欲がなくなってきている感じがする。人間、欲張ることが大事だと思います。

 (聞き手・大森雅弥)

 <ささもと・つねこ> 1914年、東京都生まれ。日本写真家協会名誉会員。『100歳の幸福論。』など著書多数。その生き方に迫ったドキュメンタリー映画『笑う101歳×2』が来春公開。

◆何事も「為せば成る」 現役最高齢スイマー・長岡三重子さん(102歳)

長岡三重子さん

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 七月に千葉で開かれたマスターズの全国大会で、400メートル自由形と100メートル背泳ぎに出ました。(山口県内の)家からは飛行機なので移動が大変でした。今は十月に松山市で開かれる大会に向けトレーニング中です。

 週に三日泳いで、二日は器械を使った筋トレと、コアトレーニングというのを先生に付いてもらってやります。空いている日は三十分歩いて買い物に出ます。今は暑いので買い物は休んでいますが、だいたい毎日予定が詰まっています。

 なぜこの年まで泳ぐのかというと、健康にいいですから。体が動くから楽しい。泳いだら、しゃきっとするから気持ちいい。元気であれば、(マスターズの年齢区分が変わる)百五歳までは泳ぎ続けていたいです。そうすれば新しい世界記録が狙えますから。

 プールに通うようになったのは八十歳を過ぎてからです。ずっと能楽をやっていましたが、年のせいでひざを悪くして、リハビリのために水中ウオーキングを始めました。初めは二十五メートルも泳げませんでした。イタリアの世界大会で銀メダルをもらい、九十一歳の時からコーチに教わるようになりました。やっぱり金メダルがほしかったから。それには、きちんとした先生に付かないといけないと思いました。そうすると、九十八歳まで自己ベストを更新することができました。

 去年までは一人暮らしでしたが、今は息子に同居してもらっています。百歳になって、料理がしづらくなりました。よく物も忘れます。なかなか若い時のようにはいきません。でも、健康なことが一番の幸福です。今も医者にはかからず、薬も一錠も飲んでいません。

 若いときから病気をしたことがなく、ずっと元気でした。大病といったら、小学六年で盲腸をやったくらい。元気の秘訣(ひけつ)は食事をしっかり時間をかけて食べることでしょうか。好きなものを食べるのが一番で、朝はお肉をいただくことが多いです。

 先日は書道展に出すお習字をしました。書いたのは「為(な)せば成る」。私の好きな言葉です。人間、やれば何でもできるけど、やらなかったら何もできない。初めて千五百メートルを泳いだ時にそう思いました。若い方にもそれを伝えたいです。何事も一生懸命やればやり遂げられる。それが一番大事なことですね。

 (聞き手・樋口薫)

 <ながおか・みえこ> 1914年、山口県生まれ。卸問屋の社長を務め、80歳で水泳を始める。昨年、世界で初めて100〜104歳の部で1500メートル自由形(短水路)を完泳。25種目の世界記録を持つ。

◆知的活動健康に寄与 言語学者・川崎桃太さん(101歳)

川崎桃太さん

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 大正四年の三月三日、桃の節句に生まれたので桃太です。生活習慣病は一通り経験しました。血圧は高かったんですが、最近落ち着きました。糖尿病もあります。八十代でがんの手術もしましたが、良い医者に恵まれて成功。克服することができました。寝たきりになるほどのこともなく、やっていますね。

 健康法は、原始的ですけれども、歩くことです。住んでいる京都・山科には疎水に沿った良い散歩道があります。とにかく、毎日歩く。二十年あまり続けています。朝晩の食後。十五分ずつぐらいかな。雨の日は家の中を歩きます。コンスタントにやってきました。

 私の半生は、中世ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスとの旅でした。五十九歳の時に、リスボンでフロイスの『日本史』の写本を見つけた。二千五百ページもありました。それをマイクロフィルムに撮って日本へ持ち帰り、南蛮学が専門の故松田毅一先生と一緒に翻訳しました。

 休みも取らず、よく体が持ったと思います。『完訳フロイス日本史』全十二巻、原稿用紙六千枚を五、六年かけて仕上げました。フロイスは、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに会って記録に残しました。日本の中世を自分の目で確かめて、書き留めて、海外に紹介した功労者です。

 昨年、百歳記念で『フロイスとの旅を終えて今想(おも)うこと』を出版しました。フロイスとの旅は終わっていません。『完訳…』の十二巻の一つ一つを取ると新しい事実に出合えます。また何か書こうという欲望がわく。思索もします。知的活動や語学は、放っておくと退化するので、キケロが書いたラテン語の古典や英字新聞も読みます。

 それが長寿にどれほど役立つかは分かりません。しかし、メンタルがある程度しっかりしておれば、体の健康にも寄与するんではないかという考えを持っています。

 終戦時は三十歳。ブラジルにいました。日本にいたら、太平洋の藻くずになっていたでしょう。戦場に行っていたでしょうから。海外にいたから、あの無謀な戦争を客観的に見ることができた気がします。

 国も個人も誇りを保ってほしい、と今の社会に言いたい。私のプライドは、キリスト教の信仰です。人生って面白い。病気もしましたが、神様のお恵みとお助けで長生きしております。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <かわさき・ももた> 1915年、山口県生まれ。京都外国語大名誉教授。『完訳フロイス日本史』で81年に菊池寛賞受賞。近著は『フロイスとの旅を終えて今想うこと』(三学出版)。

 <100歳以上の高齢者> 厚生労働省によると、その数は昨年9月1日現在、6万1568人で、初めて6万人を超えた。男女別では女性が5万3728人で87・3%を占める。

 最高齢は、女性が鹿児島県の田島ナビさんで1900(明治33)年8月生まれの116歳、男性が東京都の吉田正光さんで04年5月生まれの112歳。

 100歳以上の高齢者は年々増加。厚労省は、100歳を迎える人に贈る純銀製の銀杯を、経費節減のため本年度から銀メッキ製などに変える。

 

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