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【考える広場】

長生きは幸せか

 もうすぐ敬老の日。日本は平均寿命が男女ともに八十歳を超え、人口の四人に一人が六十五歳以上の高齢者という超高齢社会になった。認知症などを病む人が増え、近年は単に長く生きるのではなく、長く健康に生きることを望む声が強い。今、長生きは幸せか? 

 <超高齢社会> 2017年版高齢社会白書によると、65歳以上の高齢者は昨年10月1日現在で3459万人。高齢化率は27・3%で、10年からは21%を超える「超高齢社会」になっている。推計では25年に30%に達する見込み。最近は健康寿命という考え方が浸透してきた。13年の平均寿命は男性80・21歳、女性86・61歳に対し、健康寿命は男性71・19歳、女性74・21歳。認知症の高齢者は12年現在、462万人で7人に1人の割合。

◆今を大事にしてこそ 歌人 岡井隆さん

岡井隆さん

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 なんとも言えないなあ。僕はありがたいことに九十手前で物を書いて、講演もしていますけど、八十歳を過ぎると一日一日の過ごし方がかなりつらいんです。人にはなかなか言えないけど。食事、排せつ、睡眠すべてに、健康を保つ努力が必要になります。耳も遠くなって、座談会で離れて座った人の言うことが聞こえない。自然現象で喜びを得て歌や詩にしてきましたけど、例えば鳥やセミが鳴くのも、昔ほど鋭敏に感じ取れない。何とか今日という日を越えて明日を迎えて、またその日を越えて…。長生きはいいね、とはとても単純には言い切れない。

 僕が医学生のころは認知症という言葉もなく、老人病といっても六十代までの話。八十、九十まで生きた人間がどうなるかは未知の世界だった。でも医学が進歩して、百歳を超えた人間を生かしておくすべを持った。いいとも悪いとも言えない。科学をとにかく進歩させようと、皆でそっちへ努力してきたんだから。僕にもアンケートが来ます。あらゆる手段で延命を希望しますか?と。むりやり生き永らえるのは反対なので、いよいよの場合、延命しなくていいと回答してますけどね。

 今、雑誌の連載を月に二本持っています。新しい本や歌集を読んで、その感想も含めて書く。九十歳の記念に作品集を出す準備もしています。なかなか大変ですが、ぼやーっと生きるわけにはいかない。「面白かったです」「先生が元気なのは励みになります」と七十代、八十代の人に言われます。数十年来の弟子も喜んでくれる。そういう人間関係があると、長生きも悪くはないですね。

 歌作りも変わりました。若いころは人を驚かせるもの、世の中にないものを作ろうと前衛短歌をやってきた。今は自分も読み手も面白いと思えるものを、楽しく作ろうという気持ちです。怖い顔して作ったり読んだりは、もういいかなと。ある程度の評価をいただき余裕が出たのもありますが、人生観も変わった。苦虫かみつぶしているより楽しい、面白い、と思っていた方がいい。

 数少なくなった同級生と会うと、あまり昔話はしません。今が大事。体調の話もやりません。長く生きていて、目や歯や足が心配とか、そんなことばかり考えてたら愉快なわけがない。前向きな方が楽だし、幸せだ。

 (聞き手・川原田喜子)

 <おかい・たかし> 1928年、愛知県生まれ。「未来短歌会」理事長。18歳で「アララギ」に入会。83年、『禁忌と好色』で迢空賞。90年、中日文化賞。昨年、文化功労者。『岡井隆全歌集(1〜4巻)』など著書多数。

◆「足るを知る」境地で 作家、医師 久坂部羊さん

久坂部羊さん

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 長生きが幸せかどうか。簡単には答えは出ません。病気になっても幸せな人もいれば、健康でも不幸な人もいます。老いていく過程も人それぞれです。

 医療の発達が全てを解決するわけではありません。良くなった面もあれば、逆に苦しい長生きを助長している面もある。私は十三年ほど在宅医療に携わりましたが、高齢者医療の現場では「早く死にたい」と言う人をたくさん見ました。寝たきりで食べ物の味も分からず、目は見えなくなり、耳も遠くなり良いことは何もないからです。

 多くの人が幸せに対する正解を求めすぎているのだと思います。老後の満足を得るには、現実に対する期待値を下げることが必要なのですが、今は逆の情報ばかり。メディアには良い情報やお得な情報があふれて、かえって不満が増えているようにしか思えません。

 長生きをしたいと言っている人は、今の元気な状態のまま長生きしたいと言います。しかし、老いるというのは失うこと。認知症になってしまえば、今しか分からないので長生きできるかと悩むこともない。もちろん、なりかけはつらいですが、夕方になれば日が沈むように生まれる前の状態に戻るだけの話。何も恐れる必要はありません。日本が豊かで安全であるために、周りの人に迷惑をかけてしまうという余計な心配をする余裕があるのです。

 満足している高齢者というのは、老荘思想に「足るを知る」という言葉があるように現実を受け入れている人です。欲望を持ち、何かをしたいともがく人ほど苦しみます。絶対に死ぬのですから、上手に死ぬ方法を考えた方がいい。日本人はきれい事が好きなので、本音を言うことをタブーとする風土があります。命を捨てることは悪であるという考えにとらわれすぎると苦しくなります。安楽死に関しても実際に必要としている状況があるので、選択肢として考えるべきだと思います。認めてしまうと、安易な安楽死や望ましくない安楽死が行われる可能性があるので、運用を厳しくする必要がありますが。

 幸せの定義は自分の心がつくるもの。社会や行政、医療に求めるのは無理があります。どんなことにも良い面と悪い面がある。長生きも同じ。片方にばかり着目せず、その良い面と悪い面をしっかりと考えることが大切です。

 (聞き手・柴田琴音)

 <くさかべ・よう> 1955年、大阪府生まれ。『廃用身』でデビュー。『悪医』で日本医療小説大賞。『神の手』『破裂』『老乱』『日本人の死に時』など著書多数。近著に『院長選挙』(幻冬舎)。

「生きていい」社会に 社会学者、立命館大教授 立岩真也さん

立岩真也さん

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 脚本家の橋田寿賀子さんが『安楽死で死なせて下さい』という本を出されました。橋田さんのように活躍された方が引き際を気になさる気持ちは分かります。でもね、せっかくなんだから長生きした方がいいじゃないですか。

 僕の父親は認知症が進み、僕が誰なのか分かりません。今僕がそうなりたいかといったら、そんなことないです。でも、父はそうなったらなったで生きたいと思っている。それはけっこう大切なことで、今までの自分でなくなる前に「なりたくない」という思いと、なったらなったで「生きたい」という思いは両立します。今の自分と違う別の自分のことを、今の自分が決めてはならんのだと思います。

 お年寄りは昔から「もう(長生きは)いいよ」と言うものです。それを聞いた人は「まだ元気じゃないですか」と返すのが礼儀。大げさにいえば、それが社会だと思うんです。「もう死にたい」と言われたら「大丈夫だよ」と言う。言うだけじゃなく、長生きできる手だてをする。それは難しいことではない。

 尊厳死というか安楽死の法制化に僕は反対の立場です。原理原則としては、人には死ぬ権利があると言っていいとは思います。しかし、いざとなったときに死にたいという人は非常に少ない。そのときに「死んでもいいよ」という社会は、死にたくない人をたくさん死なせることになるでしょう。

 例えば、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で呼吸器を着ければ生きられる人たちの過半数が着けない道を選んでいます。そういう人たちが晴れ晴れと死んでいっているかというと、全然そんなことはない。本当は生きたいけれど、このままでは大変だし、お金もかかるし、という中で死を選んでいるのです。

 高齢者の医療・福祉で、政府は三十年以上前から医療からの撤退を進めてきました。一人一人の状態を見ない機械的な撤退です。医療から福祉へ、ではなく、医療も福祉も、であるべきです。医療の側の問題として、治らないならあきらめてしまうというものがある。治らなくてもやれることがあるはずです。若い人からすれば「いい年になったら、治療はもういいでしょ」と思うかもしれませんが、いつが「いい年」なんて誰にも分からないのです。

 (聞き手・大森雅弥)

 <たていわ・しんや> 1960年、新潟県生まれ。立命館大生存学研究センター長。『私的所有論』『良い死』『唯(ただ)の生』など著書多数。近著に『相模原障害者殺傷事件』(共著、青土社)。

 

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