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【考える広場】

オウムとは何だったのか

 オウム真理教による一連の事件の刑事裁判が一月に全部終結し、麻原彰晃元代表(63)=本名・松本智津夫=ら死刑囚十三人の拘置先の分散が、今月行われた。死者二十九人(うち二人は起訴状に入らず)、負傷者六千人以上の事件を起こしたオウムとは何だったのか。解明されないまま、刑事裁判は終わった。

 <オウム事件> 麻原死刑囚が1984年、ヨガサークル「オウム神仙の会」を設立。87年にオウム真理教に改称し、2年後に東京都から宗教法人の認証を受けた。教団は、毒ガスなどを密造して武装化し、横浜市の坂本弁護士一家殺害(89年)、長野県松本市の松本サリン(94年)、東京都心の地下鉄サリン(95年)などの凶悪事件を起こした。教団関係者192人が起訴され、今年1月までに13人の死刑や6人の無期懲役などが確定した。

森達也さん

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◆治療し動機解明必要 映画監督、作家・森達也さん

 オウム事件によって日本社会は危機意識を刺激され、他者への不安と恐怖が高まりました。駅のごみ箱は透明になり、ベンチにはなぜか仕切りが入り、セキュリティー関連企業の業績は急上昇し、監視カメラ台数の人口比は世界一ともいわれます。

 人は怖いと群れたがり、異質な者を排除します。そして強い者に従属したくなる。今の長期政権も「強いリーダー」を求める人々の不安の裏返し。事件は終わっても、その後遺症は一層強まっていると感じています。

 一審は、法廷で常軌を逸した言動を繰り返す麻原(彰晃死刑囚)に精神鑑定をせずに、死刑判決を出しました。死者二十七人を出した十三事件の審理を、八年で終わらせた。永山則夫裁判(四事件・死者四人)が一審判決まで十年かかったのと比べても異常なスピードです。真相が分からなくても終わらせてしまえという流れに、メディアも無批判に追従しました。

 麻原は意思の疎通ができず、明らかに訴訟能力がない。僕はそう確信しています。でも裁判所は治療することもなく、被告人席に座らせ続けました。二〇〇四年には二審弁護団の依頼で精神科医六人が麻原と面会し、全員が「訴訟能力なし」と判断した。ところが〇五年に高裁の依頼で精神鑑定をした医師は、詐病だから訴訟能力あり、としました。理由のひとつが「ボールペンを握って離さなかったから」。その理屈なら、アライグマや乳幼児だって被告人席に座れます。そして〇六年三月、弁護団が「控訴趣意書を提出する」と約束した日の前日に、突然高裁は控訴を棄却しました。

 十二人の実行犯が、犯罪に関与したのは事実です。彼らは教祖の意思でやったと言う。では実際に教祖からどのような指示があったのか、それはどんな意思に基づいていたのか。本人の口からは一言も語られず、全く分かっていません。

 僕はオウムにシンパシーを感じてもいないし、麻原を擁護する気もありません。でも、麻原を治療すれば、改善の可能性はゼロではないと思います。処刑するのは、真相解明の努力をしてからでしょう。今後死刑が執行されたとしても、社会の反応は圧倒的な無関心だと思います。でも、犯行動機が分からないことがこの国にどれほど負の影響を残しているか。このままでは、解明の機会は永遠に失われます。

 (聞き手・出田阿生)

 <もり・たつや> 1956年、広島県生まれ。オウム真理教の広報担当・荒木浩氏が主人公の映画「A」(98年)と続編「A2」(2001年)を監督。オウム事件の本質を探る『A3』など、著書多数。

◆宗教的内面の調査を フォトジャーナリスト・藤田庄市さん

 宗教の根幹とは何か。それは神秘体験です。超自然的な存在・力と個人との結び付きです。神や仏といった存在との直接的な関わりを感じるから、宗教は存在している。

藤田庄市さん

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 麻原(彰晃死刑囚)も神秘体験を公言しています。彼が宗教的使命感を持ったのは、一九八五年に修行をしていた際、「あなたをアビラケツノミコト(という神)に任じます」という声を聞いた時とされています。「麻原は詐欺師だから、この体験談もうそだ」と言えるなら、事は簡単です。しかし、うそつきだったら、金もうけの詐欺だったら、あんなことまでしますか?

 あくまで麻原の主観ですが、彼は自らの神秘体験を強く確信しています。だから、あれだけのことをしてしまった。オウム事件を一言で言うなら、麻原を中核として救済を目指した無差別大量殺人。そこを見ないと、事件を理解することは難しい。理解しなければ根本的な批判もできません。

 僕は死刑や無期懲役が確定した弟子たちと何度も接見してきました。その中でも印象的なのは新実智光死刑囚。彼は事件を「菩薩(ぼさつ)の所業」と言いました。その人たちを助けるために善意で殺したと言うのです。「慈悲殺人」です。今に至るまで全く反省も悔恨もしていません。親の愛情に包まれて育ち、弟思いだった優しい人間が、なぜこういうふうになるのか。オウムの裁判は、新実を例外として、ほかの被告については、ほとんどそこに踏み込まなかった。刑の執行が迫っているようですが、彼らにはもっと生きてもらって、核心をしゃべってもらわないといけない。

 刑事罰は刑事罰で与えればいい。しかし、事件の再発を防ぐにはオウム全体の徹底的な分析をすべきです。信者たちがどういう修行をして何を体験し、どう思想を身に付けたか。神秘体験を得ることによって、彼らがどう変わっていったか。そして、それがどう事件と有機的に結び付いたかを見る必要がある。警察や検察が行った取り調べの膨大な資料は、すべて公開してほしいと思います。

 もっと言えば、国会の特別委員会のような組織をつくり、調査に当たることが求められる。裁判で事件の事実関係は分かりましたが、核心はいまだ判明していない。被告たちの宗教的な内面にまで踏み込む調査が必要です。

 (聞き手・大森雅弥)

 <ふじた・しょういち> 1947年、東京都生まれ。長年、宗教の取材に携わる。著書に『オウム真理教事件』『宗教事件の内側』『修行と信仰』『カルト宗教事件の深層』『伊勢神宮』(写真集)など。

大田俊寛さん

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◆反近代主義のカルト 宗教学者・大田俊寛さん

 オウムは突然現れた新興宗教と考えられていますが、思想史的には近代初頭にまでさかのぼって分析することができます。私はオウムを「ロマン主義」的で「全体主義」的で「原理主義」的なカルトと見なしています。これらは近代主義に反対する対抗思想に属するものです。

 特にロマン主義は重要です。近代主流の啓蒙(けいもう)思想が、全てを理性的な言葉で捉えようとしたのに対し、ロマン主義は、言葉で表せないもの、不可視のものを探求していった。その大きなテーマの一つは「死」でした。

 近代以前の欧米では、キリスト教が死を説明する役割を担っていましたが、近代以降は、死に対する公的な説明が失われてしまいます。この空白に耐えかねた一部の人々は、ロマン主義的な死のイメージにすがるようになり、そこから、さまざまなスピリチュアル(霊的)系・オカルト系の思想が現れました。

 その一つに、霊の進化を説く「神智(しんち)学」があります。オウムもまた神智学系の宗教であり、彼らは、霊的に進化した人類のユートピアを築き、退化した人々を粛清することをもくろんだのです。こうした思想史の流れを踏まえなければ、オウムの本質は絶対に理解できません。

 オウムが「破壊的カルト」であったことは間違いなく、であればこそなおさら、その正体を的確に見きわめた上で、冷静に対処する必要があったはず。しかし日本社会は、不用意な挑発や嘲笑を繰り返し、その暴走を招いてしまった。宗教学が本来の役割を果たさず、むしろスピリチュアル系の幻想をまき散らし続けてきたことについては、私も責任を痛感しています。

 日本では、オウムをマインドコントロール論で説明することが多いのですが、この理論は世界的には、疑似科学の一つと見なされ、オウムの解明にも実質的にほとんど寄与していません。社会心理学者も、途中でこの理論のおかしさに気づいたはずなのですが、明確な形で撤回しなかったことには、大きな責任があると思います。

 オウム事件が日本社会に突きつけたものとは、私たちが宗教や思想の基本について何も理解していないということでした。さらに近代とは何かということについても、その裏側に潜む対抗思想の存在も含め、より総体的な理解を目指すべきだと思います。

 (聞き手・高野正憲)

 <おおた・としひろ> 1974年、福岡県生まれ。埼玉大非常勤講師。博士(文学)。著書に『オウム真理教の精神史』(春秋社)、『現代オカルトの根源』(ちくま新書)などがある。

 

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