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【考える広場】

ああ結婚式

 ジューンブライド(六月の花嫁)は「幸せな結婚生活を送れる」という。かつてチェリッシュの「てんとう虫のサンバ」では新郎新婦は「森の小さな教会」で挙式したが、今どきの結婚式は多種多様のようだ。

 <ジューンブライド> 「6月の結婚」も意味する。「幸せになれる」という由来は、「ローマ神話の女神で女性の守護神ユノ(Juno)が6月(June)を守っているから」とする説が、最も有力とされる。

 この言葉が日本で普及したのは戦後。ゆかりの欧州では、6月は少雨で天気の良い日が多いというが、日本では梅雨でじめじめした時季のためか、実際に挙式するカップルが増えたのは、式場の冷房や除湿の能力が向上してから。

◆大変だった名古屋流 歌手・松崎悦子さん

松崎悦子さん

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 「てんとう虫のサンバ」が結婚式の定番ソングとして、こんなに長く歌ってもらえる曲になるとは、思いもよりませんでした。不思議な感じもしますが、ありがたい限りです。

 もともとはアルバムの中の一曲でした。それを大阪のラジオ局が番組のテーマソングに使ってくれて話題になって。ぜひシングルカットしてほしいという要望が寄せられ、一九七三年の七月に急きょシングル盤を出すことになったんです。それまでの曲調とは違っていたのですが、出してみるとチャートを急上昇しました。

 結婚式では花嫁さんのお友達が「くちづけせよとはやしたて」という歌詞の部分を繰り返し歌って、それが広がって定番ソングになったようです。歌を提供したのは私たちチェリッシュですけど、皆さんが作ってくれた曲でもあります。若い人の中には、この曲は知っているけど、誰の曲か分からないという人もいます。曲自体が独り歩きしているんですね。でも、それでいいと思っています。

 私は七七年の六月に結婚しました。名古屋で結婚式と披露宴、東京では音楽業界の関係者を招いて披露パーティーを開きました。そのころの名古屋の結婚式はなかなか大変でした。嫁入り道具をそろえてトラックで運ぶんですが、トラックには紅白の幕が張ってありました。実家の近所の方にはお菓子を袋詰めにして渡しましたし、家でウエディングドレスを着てから出発しました。

 結婚式はやってよかったなと思っています。自分の心の区切りになりましたし、今でも写真を見ると、当時のことを思い出します。子どもができたときは写真を見せて、こういう結婚式だったんだよと話すこともできました。

 こんな印象的な結婚式に出席したことがあります。堅苦しい式次第はなく、長いあいさつもなし。出席者が自由に会場を動き回って楽しく会話する。出席者は少ないけど、本当に二人を祝福している人が集まっている。心温まる式でした。

 結婚式は誰のためでもなく、二人のためのものです。二人が納得し、楽しめる式であってほしいと思います。派手にする必要はありません。地味でもいいんです。でも、何らかの形で式はした方がいいと、私は思っています。

 (聞き手・越智俊至)

 <まつざき・えつこ> 愛知県生まれ。チェリッシュとして1971年にデビュー。「てんとう虫のサンバ」で73年の紅白歌合戦に初出場。旧姓松井。夫は同じチェリッシュの松崎好孝さん。

◆二人らしく多様な形 「ゼクシィ」編集長・平山彩子さん

平山彩子さん

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 結婚式のトレンドは緩やかに変化しています。

 二〇〇〇年代は「アットホーム婚」。ゲストハウスで家に招いたような形の式が広がりました。インターネットが普及し、海外の情報がたくさん入るようになったことが大きいです。

 一〇年代は「つながり婚」。〇〇年代の傾向を引き継ぎつつ、式の中で何をするか、いかに感謝の気持ちを伝えられるかが大切になりました。これは一一年の東日本大震災の影響で色濃くなりました。その結果、家族の出番が多い演出が増えました。バージンロードを歩く前に母親が花嫁のベールを下げるという演出は、今やフラワーシャワーの実施率を超えています。

 そして一〇年代後半の現在。大きなウエディングケーキが出てくるような一九八〇年代の「派手婚」の時代は、よりよく見せることが重要でしたが、今は自分たちのありのままの良さを感じてもらう場所として結婚式を考えている方が多いです。

 この「ありのまま婚」では、家族や友達など人生に影響を与えてくれた人全てとつながりたいという思いが強くなり、ゲストを巻き込む演出が多いです。二人が特別な主役というよりは、一緒に楽しむことを重視している。二人らしく、みんなとつながれる結婚式です。

 「二人らしく」とは「個性的な式」という意味ではありません。二人の価値観に合わせた式のことです。コンセプトをもってこだわりの式を挙げる方もいれば、派手な式は自分たちに合わないと、食事会など披露宴や挙式でない形の式をする方もいます。

 式を挙げない「ナシ婚」のカップルが増えたという話がありますが、実は結婚に関するセレモニーを全くしないという夫婦は14・8%しかいません。いわゆる「結婚式」は減ったように見えますが、結婚イベントの形は多様になってきているのだと思っています。

 良い大学を出て一流企業に入って、結婚して…。昔はあったであろう人生のマイルストーン(到達点に向かうための通過点)が明確ではない今の時代。それぞれが自分の価値観で物事を判断して生きる中で、二人にとって結婚式とはどういうものかというところから考え、二人のことを理解してくれている人たちを式に呼び、もてなす。それが今の結婚式の形だと思います。

 (聞き手・西村理紗)

 <ひらやま・あやこ> 1984年、大阪府出身。2008年からゼクシィ編集部に勤務。同誌の編集記事制作に加え、PR・CMプロモーション、表紙や交通広告の業務を担当。16年から現職。

◆儀礼文化、衰退の危機 国学院大教授・石井研士さん

石井研士さん

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 挙式と披露宴がセットの「結婚式」は、たかだか戦後六十年ほどの間に普及したものです。平安時代は貴族でも結婚式の記録はほとんど残っておらず、近世までは式自体が簡素で、宗教者は関与していません。明らかに庶民の生活に宗教性が息づいていた時代なのに、宗教性を見いだすのは難しいのです。

 庶民も結婚式を挙げはじめ、そこに宗教性が加わったのは、高度経済成長期以降です。一九六〇年代に神前式が普及し、七〇年代には八割を占めました。ピークを支えたのは団塊の世代です。学生紛争などで当時の価値観に抵抗した若者たちが、なぜ伝統的な様式を選んだのか。背景には、産業構造の変化や都市への人口集中がありました。

 当時は今よりも地縁・血縁や会社の人間関係が密でした。そのため、ホテルや会館で神主を呼んで式を挙げた後に披露宴をする、厳粛でありながら簡便な形式が流行しました。田舎の親戚は挙式に、会社の人は披露宴に呼んだのです。神社にとっても、戦時中のイメージが逆風となって焼けた社殿の再建さえ難しかった中で、新しい教化方法として好都合だったでしょう。

 九〇年代になるとチャペル式が急増し、やがて海外挙式を合わせると約七割を占めるようになります。個人の時代になって恋愛結婚が増え、結婚式は家同士の結び付きよりも、愛の確認の場になったからです。

 いずれにせよ、結婚式は宗教者がいて、神様−人間を超えた存在に誓いを立てる場でした。

 戦後、伝統的な儀礼が消えていったため、結婚式の重要性は相対的に増しました。成人式が形骸化し、結婚式は人生最大の儀式になったともいえます。

 ところが二〇〇〇年代に入ると大きな変化が起きました。発端は、参加者の前で結婚を誓う人前式の増加です。そしてついに一四年、結婚式を挙げない「ナシ婚」が婚姻数の50%と報道されました。実際は三割ほどだったようですが。原因は経済的理由や授かり婚の増加ともいわれますが、私にとって、結婚という儀礼文化が消えつつあるということが衝撃でした。

 日本人にとって宗教とは、年中行事や儀礼を通して日常に溶け込んでいるものです。儀礼の衰退は、精神文化の後退につながります。今後、すべてが経済に帰結する、「お金」信仰だけが残ってしまうのではと憂えています。

 (聞き手・出田阿生)

 <いしい・けんじ> 1954年、東京都生まれ。戦後日本人の宗教性の変容を追う。著書に『日本人の一年と一生〜変わりゆく日本人の心性』『結婚式 幸せを創る儀式』など。

 

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