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【考える広場】

北海道150年 アイヌの視座から

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 かつて「蝦夷(えぞ)地」と呼ばれた北の大地が、一八六九年に「北海道」と命名されてから、今年で百五十年目。五日には記念式典も開かれる。その開拓の歴史と未来を先住者「アイヌ」の視点で考えよう。

 <北海道とアイヌ> アイヌの天地だった蝦夷地に江戸時代以降、和人の進出が本格化。明治政府も開拓事業を展開、1869年に探検家・松浦武四郎の提案で「北海道」と命名した。開拓が進む中、アイヌは生活圏を奪われ、多くの悲劇が生まれた。1997年に「アイヌ文化振興法」が成立したが、アイヌ復興には不十分との声がある。

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◆差別を超え文化発信 演出家・秋辺日出男さん

 北海道の名付け親の松浦武四郎のことばかり語られるのは、一種のカムフラージュに見えます。本当は「開拓が始まって百五十年目」と言いたいんでしょう。武四郎はアイヌの人々が強制労働に駆り出され、狩りや漁を禁じられて餓死寸前になっている惨状を克明に描写して出版し、幕府から発禁処分を受けた。情がありつつ冷静だった。そんな武四郎を前面に出して、免罪符にしている気がします。

 ただ、アイヌの立場から、単純に「開拓」を「侵略」と置き換えたくはない。日本人も、厳しい自然の中での開墾は筆舌に尽くしがたい苦労があったし、時代に翻弄(ほんろう)されたのだから。

 物心ついたときから差別はつきまといました。犬がいなくても「あ、いぬ」って言われる。中三までいじめられ続けて家出しようとした時、おやじや先輩が出演したアイヌのユーカラ劇を見て感動して、自分の民族性を肯定できた。高校を卒業してから収奪と差別の歴史にだんだん気付いて、「差別された」ことが自分の唯一の武器になった。でも、カナダの先住民族が「われわれの権利回復が世界に貢献するんだ」と話すのを聞いて、恥ずかしくなって。「和人を差別しないアイヌになろう」と決意しました。

 差別抜きで考えたら、こんなに魅力的で楽しい民族はいない。それは観光の商品にもなるから、「観光を利用してアイヌを広めたい」と思った。二十年前からホテルと連携して「イオマンテの火まつり」をスタート。地元のFM局でアイヌの番組も始まりました。

 ここ十年でようやくアイヌの権利回復の動きが出てきたけれど、まだまだ足りません。最初はアイヌ文化の面白さや楽しさを知って、その後、きちんと負の歴史を学べばいい。キング牧師のすてきな言葉で黒人差別について知りたくなるのと同じです。

 今、東京五輪の開会式で舞台を披露したいと準備しています。「イランカラプテ(こんにちは)」というあいさつは「あなたの心にそっと触れさせてください」という意味です。「天から役目なしに下ろされたものはない」(誰もが大切な存在)ということわざや、「ウレシパ(育て合い)」という言葉もある。そんなアイヌのメッセージを世界に発信したい。アイヌ理解への一歩につながると信じています。

 (聞き手・出田阿生)

 <あきべ・ひでお> 1960年、北海道生まれ。ユーカラ劇の脚本・演出、シェイクスピア・カンパニーの演出などを手掛ける。北海道ウタリ協会阿寒支部長、「先住民族サミット」共同代表を歴任。民芸店経営。

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◆民族の経済的自立を 札幌大教授・本田優子さん

 「北海道命名」というのは、アイヌ民族にとっては、近代日本に統合された出発点です。政府の同化政策の下、アイヌの家庭では子や孫に伝統的世界観や言葉、習俗を教えなくなり、その結果、子どもは親や祖父母を尊敬する思いを持てなくなった。北海道の全てのアイヌの方々にそんな時代があったと思います。いまだにその負の遺産を引きずっているといっても過言ではありません。

 不満やあきらめがまん延する環境で、子どもが知的好奇心を育むのは難しい。その痛みを日本社会全体が共有していないことは理不尽だと思うんですよ。

 北海道の宝であるアイヌ文化を若者が学べるようにと、二〇一〇年に大学で<ウレシパ(アイヌ語で「育て合い」)プロジェクト>を始めました。アイヌと和人の学生が一緒にアイヌの言葉や文化を学んでいます。

 生まれたときから、自分の民族の言葉や文化をシャワーのように浴びながら育つ。私たちが取り組むべきなのは、そんな当たり前の権利を日本社会の中で保障していくことです。

 ハワイでは、先住民族のハワイ語が公用語になりました。ニュージーランドでは英語・マオリ語に加え、手話も公用語です。つまり公用語化は、尊重することの宣言なのだと思います。北海道も条例でアイヌ語を公用語にすれば、「われわれの住む大地はアイヌと共に生きる土地なのだ」という宣言になります。

 二〇年、東京五輪の開幕前に、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館ができます。アイヌの若者が働く場が増えるだけでなく、アイヌの先住民族ビジネス創出のきっかけになってほしいです。

 世界には、政府の補助金頼みではなく経済的に自立している先住民族がたくさんいます。かつてマオリの人口は四万人ほどとされていましたが、今は六十万人といわれる。民族として富を生み出すシステムがあるからマオリだと自認する人が増えるし、政府もどんどん認定する。

 アイヌの世界観は人間をヒエラルキーの頂点とはしません。この考え方は現代社会でますます必要とされるはずです。アイヌ文化は、北海道という土地で生きるのに最も適した方法を見いだすカギになる。社会に持続的な富をもたらし、人々の幸せにつながるような方策を探っていきたいと思っています。

 (聞き手・出田阿生)

 <ほんだ・ゆうこ> 1957年、石川県生まれ。専門はアイヌ語・アイヌ文化。北海道大卒。故・萱野茂氏に弟子入りし北海道・二風谷(にぶたに)で11年間過ごす。2010年、札幌大でウレシパ・プロジェクト開始。

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◆互いの歴史を知ろう 考古学者・瀬川拓郎さん

 「北海道百五十年」と聞くと、自分がここにやって来た和人の子孫ということに思いは至ります。国は、北海道は思っているほど寒くないなんて半ばだますように移住を促進した。その話に乗った僕たちの先祖は、食いぶちがなくてここにたどり着いた移民。ある意味、あぶれ者で余計者でした。

 百五十年でここまで開発を成し遂げたことへの誇りはありますが、それによってアイヌの社会を壊したことへの後ろめたさも湧き上がってくる。国に翻弄(ほんろう)されてきたことへのルサンチマン(恨み)も根強い。そういう複雑な感情の中に北海道の今があると思います。

 ここで生まれ育った僕には、高校で習う日本史に全然リアリティーが感じられませんでした。教科書に出てくる古墳もお城も見たことがない。逆に、北海道のことはほとんど出てこない。これって俺たちの歴史じゃないよなと。では、「俺たちの歴史」とは何か? たどっていけるのはアイヌの歴史しかないんです。和人だけど、古里にずっと生きてきた人たちにこそシンパシーを感じるんです。

 では、アイヌとは何か? 縄文時代の日本列島に生きた人たちの気風をのこしてきた人たちだと思います。狩猟漁労がなりわいで移動の自由を持っていた。一方で、コミュニティーを形作る自治の精神もあった。

 ただ、アイヌの人たちは縄文文化の生きた化石ではなかった。狩猟漁労の未開の民で、文明人の和人にいいようにされたというイメージは間違いです。アイヌは和人と対等だった。これは極端な例ですが、海賊として略奪行為をしていた時代もある。「遅れていて同情すべき」民族ではありません。

 アイヌは自らの世界に閉じこもっていたのではなく、弥生時代から異文化と交流し、したたかに生き抜いてきました。一方で、言葉も含めて自分たちの固有の文化は守る。オープンだけどクローズする。その案配には、今のグローバリズムの時代、学ぶべきものがあります。

 僕はそういうアイヌにシンパシーを感じるわけですが、略奪され、差別されてきたアイヌの人たちのルサンチマンは大きい。でも、対立は何も生まない。百五十年を機に、それぞれの歴史を知るべきです。そこに共感できる部分があれば、新しい北海道のあり方につながると信じたい。

 (聞き手・大森雅弥)

 <せがわ・たくろう> 1958年、北海道生まれ。旭川市博物館館長を経て、今年4月から札幌大教授。著書に『アイヌの歴史』『アイヌ学入門』など。近著は『縄文の思想』(講談社現代新書)。

 

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