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【一首のものがたり】

われらがわれに還りゆくとき

新宿騒乱事件で駅への乱入を試みた学生たち(中)の1人だった道浦母都子(左)。体験を赤裸々に詠んだ歌集『無援の抒情』(右)は反響を呼び、今も版を重ねる。右上は当時の道浦

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◆調べより疲れ重たく戻る真夜

怒りのごとく生理はじまる 道浦母都子

 一九六八年十月二十一日。ベトナム戦争反対を訴える国際反戦デーのこの日、東京・新宿駅は角材を持ち、ヘルメットをかぶって押し寄せた学生で、混乱を極めていた。

 学生側の大義名分は、ベトナム爆撃に使われる燃料を積んだ貨物車の輸送阻止。投石や放火をする者もいて、交通機能はまひした。全学連(全日本学生自治会総連合)の一角を占めていた中核派のシンパで、早稲田大文学部の学生だった歌人・道浦母都子(みちうらもとこ)(68)もその渦中にいた。

 御茶ノ水駅から総武線に乗り、リーダーの指示で、代々木駅付近で止まった電車から線路に飛び降りる。そこから新宿駅に突入したが、待ち受ける機動隊のクモの巣に次々とからめ捕られ、捕まってゆく。道浦は西口へと逃げ、塀を乗り越えて脱出した。

 世に言う新宿騒乱事件。警視庁は関わった学生らに刑法の騒乱罪を適用することを決め、拘束した学生たちを勾留した。その数、七百人余。

 「私、たぶん捕まる」。十二月初め、大阪の実家に帰った道浦は、母親にこう告げると、東京にとんぼ返りした。翌朝六時ごろ、部屋に公安の刑事がやってきた。五人ほどが部屋に踏み込み、室内を捜索する。下着までぶちまけても、何も出てこない。黙ったままの道浦に一人が逮捕状を示し、「来てもらうしか仕方ないね」と言った。

 近くの警察署を経て、女子房のある板橋署に移された。名前を呼ばれても返事をしない。本人であることすら認めない完全黙秘。代わりに「板橋二十号」の名がついた。

 取り調べは過酷だった。刑事が入れ代わり立ち代わりやってきては、朝から晩までののしる。かと思えば、次の日はやさしくする。「丸椅子をけとばされてこけたり、『いいおっぱいしてるな』と言って胸をもまれたりしたこともありました」。心の中で一から十まで指を折り、何も耳に入らないようにした。「しゃべったら一生後悔する」。固くそう信じていた。

 二十日間の勾留の終盤、調べから戻ると、生理が始まった。「こうして頑張っている時に、女性であることをむざむざと知らされる。恨みました」。あいにく当番の看守は男性だった。入浴時に別の独房の年配女性に相談すると、代わりに伝えてくれた。

 年末になり、釈放された。実家に帰ると、母は「お嫁に行けない」と騒いだ。父に頬を張られたが「あなたこそ間違っている」と思った。

 いたたまれず、ひとり東京に戻った。近所の電柱の張り紙で、町工場の職を見つけ、油まみれで働きながら仲間たちの支援にあたった。

 学生組織の全共闘(全学共闘会議)が占拠していた東京大安田講堂が「落城」した六九年一月十九日、道浦も現場に向かうが、近づけない。下宿に帰ると、敗北感とともに歌が込み上げてきた。

 <炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る>

 ほどなくして胆のうの病気で入院。母に連れられて実家に戻った。大学は休学(後にリポートを出して卒業)し、保育所で働いた。歌誌『未来』を主宰する近藤芳美(一九一三〜二〇〇六年)の知遇を得て、本格的に歌づくりを始めるのもこのころだ。

 大学教員の男性に見初められ、結婚。松江や広島で暮らしながら歌を作り、激動の時代をひとり見つめ直した。

 七五年に『未来』の仲間と合同歌集『翔』を出し、八〇年には単独で歌集『無援の抒情(じょじょう)』をまとめた。この間、道浦が正しいと信じていた運動は閉塞(へいそく)していった。多くの学生は何もなかったかのように卒業し、就職した。一方で内ゲバが繰り返され、ついには十四人もの仲間を殺害し、長野・あさま山荘に立てこもった連合赤軍事件に至った。

 <明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし><死ぬなかれ撲(う)つことなかれただ叫ぶ今かの群れに遠く生きつつ>

 悲惨さを増す光景を遠くで見つめながら、自らの感情をたどってゆく。道浦はそうして歌を作るほかなかった。歌集では、学生時代を振り返る作品を「われらがわれに還(かえ)りゆくとき」と題している。

 「結局、人間はひとりなんです。だけど、あるとき『われら』の幻想を抱いた。つかの間の幻想でした。全共闘って何か、わからない。一生わからないと思います」

 二度の結婚、離婚を経て歌人、作家として活躍する道浦は今、かたくなだった当時の自分を「『ねばならない』とか『すべし』に取りつかれていた」と振り返る。「『ほどほど』とか、『適当』も人生には必要なんですよ」。もし時をさかのぼれるなら、そう声をかけてやりたい。「でもイノシシですから。直りませんね」 (敬称略)

      ◇

 「一首のものがたり」は月に一回程度、掲載します。 (文化部長・加古陽治)

 

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