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【一首のものがたり】

恥ずかしがり屋の虫、羽ばたく 

第1歌集『羽虫群』が高く評価された虫武一俊(左)。監修者の石川美南(右)との打ち合わせに選んだのは「デートスポット」の水族館だった。背景はそのときに石川が撮影したミズクラゲ

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◆生きかたが洟(はな)かむように恥ずかしく

花の影にも背を向けている 虫武一俊(むしたけかずとし)

 女が前に出ると、男が一歩退く。また一歩出ると、一歩退く。二〇〇九年六月二十日、埼玉県川口市に投稿歌人らが集う「短歌サミット2009」の会場で、男女が奇妙な光景を繰り広げていた。

 「壁際に追い詰めていく感じ」に迫っていたのは若手歌人の石川美南(みな)(36)、退いていたのは大阪からやってきた虫武一俊(35)。石川は「こんなに人見知りする人がいるのか」と驚きつつ、やっとのことでメールアドレスを交換した。

 虫武は、当時放送されていたNHKラジオの番組「夜はぷちぷちケータイ短歌」の常連投稿者。投稿仲間に会いたいと、なけなしの金をはたいてバスのチケットを買った。番組の選者だった石川は「キャラクター性がある」虫武の歌に注目し、自ら立ち上げたネットの短歌鑑賞企画「ゴニン・デ・イッシュ」に招くなど、虫武をもり立てていく。

 龍谷大社会学部を卒業した虫武は、就職活動はしたが、就職しなかった。社会人になることを「重たく感じた」からだ。代わりにライトノベルを書いた。昼に起きて、未明まで書く。「巻島翔史」名で書いたショートショートが雑誌の企画で優秀賞に選ばれたこともあるが、出版に至らず、二十五歳で筆を折った。「一人で落ち込んでいって書けなくなりました」

 それから二十七歳まで、何もしていない。「家に居づらいから、外に出て徘徊(はいかい)していました」。新聞の文化欄に出ていた短歌の記事が目に留まったのは、そんなある日のことだ。<体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ>。穂村弘の一首に触れ「文語で写実的に詠むもの」と思っていた短歌のイメージが一変した。「これなら自分にもできる」。そう考えた虫武は〇八年夏、短歌を詠みはじめた。

 <この星のどこにも俺の居場所なく白いスニーカー黒ずんでいく><ダメだった面接の帰路胸の奥 想像してるナイフの重さ><会話する力がなくて職なくて母と無言の夕食をとる>

 〇八年八月から始めたブログ「The NEET−verse」に最初に登場する歌が、そのころの生活を物語る。このままではいけないと、ハローワークや折り込み広告の求人に応募するが、面接ではねられてばかり。絶望、羨望(せんぼう)、あきらめ、怒り、痛み、悲しみ。歌は鬱屈(うっくつ)した感情を吐き出す壺(つぼ)のようだった。

 一方で短歌は虫武の世界を広げていく。外に出てイベントに参加し、仲間と会うには金がいる。何とかして稼がなくては、そう決心した虫武は一一年秋、NPO法人のカウンセリングを受け、その法人が運営する馬の牧場で働きはじめた。いくつかの職を経て、今はオフィスビルの設備管理の会社で働く。運転免許のほか第二種電気工事士、二級ボイラー技士など、いくつもの資格を持っている。

 歌も変わっていく。独特のペーソスとユーモアがにじみ出た歌が増えた。

 「そろそろ歌集ですよね」。一三年に刊行が始まった書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)の新鋭短歌シリーズ。その第三期の監修者となった石川は早速、虫武に電話を入れた。答えは煮え切らない。「迷ってるし、わかりません」。とりあえず何首あるかだけでも数えてほしい、石川はそう頼み、電話を切った。

 「千首くらい」。当初そう話していた虫武だが、数えてみたら四千五百首もあった。ひと月悩んだ末に、出版を決意し、まず自身で三千五百首にまで絞った後、京都で打ち合わせることにした。虫武が指定した待ち合わせ場所は、京都水族館のオオサンショウウオの前。理由を聞くと「水族館って一人で行くところじゃないじゃないですか」。身長一メートル八二。見た目は悪くないが、恋人いない歴三十ウン年。ずっと水族館に行きたかったらしい。

 打ち合わせで石川は「(歌壇の大御所の)馬場あき子さんにも読んでもらえる歌集に」と注文した。ふたりで三百八首にまで絞り、その二番目に置いたのが<生きかたが洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている>だった。

 「人前で堂々と(洟を)かめないというような恥ずかしさがありまして…。特に引きこもっていた時、春が嫌いでして。桜が自分以上に春を謳歌(おうか)しているように感じられたんです」。虫武によると、そんな気持ちを形にしたという。

 石川は「ユーモアも、恥じらいやネガティブさもある。どっちもあるから魅力的なんです」と話す。

 その人柄を仲間に愛される虫武だが、歌の評価も高まっている。虫武が参加する「空き家歌会」主宰の牛隆佑(35)も歌の良さを認める一人だ。「歌壇からも評価されて、エポックメーキングになるような人。新しいタイプの歌人です」

 確かに歌壇からもちゃんと評価された。歌集『羽虫群(はむしぐん)』は「現代歌人集会賞」に決まった。 (敬称略)

      ◇

 「一首のものがたり」は随時掲載します。

 (文化部長・加古陽治)

 

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