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【一首のものがたり】

透明で不器用な「水の粒子」

翌日、事故に遭うことなど知るよしもなく、母が構えるカメラに笑顔で納まった安藤美保(右)。院生仲間の上野麻美(左)らにとっても、その死は思いもよらないものだった。背景は大学時代の日記

写真

◆寒天質に閉じ込められた吾を包み

駅ビル四階喫茶室光る 安藤美保

 京都市中心部から北北東に三十キロ弱、大津市の比良の山中に日本で初めての史論書『愚管抄』を著した慈円が修行した三の滝(不動滝)がある。この滝をお茶の水女子大で中世文学を教える教授(当時)三木紀人(すみと)(81)と四人の大学院生が訪れたのは、一九九一年八月二十七日のことだ。

 けもの道の急坂を下り、滝の飛沫(しぶき)を浴びながら、河原で涼を取る。写真の女子学生たちは、どの顔も笑っている。しばらくして、三木を先頭に坂を上っていた時だった。三番目にいた上野麻美(51)=現東京経済大教授=が振り向くと、すぐ後ろの安藤美保=当時(24)=が腹ばいのまま落ちていくのが見えた。河原に下りると、あおむけに倒れ、意識がない。後頭部から血が流れていた。なかなか救急車が来ず、病院に運ばれた時は手の施しようがなかった。

 「堅田警察署です」。安藤の母幸子(77)は事故の一報を受けた時、英国の作家トーマス・ハーディーの『帰郷』を読んでいた。朝早く安藤が出かけ、妹と夫聰彦(としひこ)(二〇〇九年に死去)も不在。「今日はのんびりできる」と一服したところだった。急ぎ病院に駆け付けたが、先に着いていた夫から「ダメだよ、ダメだよ」と告げられ、へなへなとその場に崩れ落ちた。

 安藤は当時、大学院修士課程の二年生。平安末期から鎌倉初期の歌壇で活躍し、小倉百人一首にも歌がある藤原(九条)良経(よしつね)を研究し、将来を嘱望されていた。

 「良経のことは、恋人のようでした。彼女の中でその肉声があり、肉体が存在している。ゼミの後で一緒にご飯を食べている時、『良経の夢を見た。スーパーでネギを買っていた』と話したことも」。上野は、良経に傾倒する安藤を印象深く覚えている。

 そんな安藤の別の顔が歌人だった。佐佐木幸綱(78)の主宰する「心の花」に入会。ホープと目されていた。だが道は永遠に閉ざされた。

 「二歳になる前に本が読めた」(幸子)という本の虫。『シャーロック・ホームズ』シリーズが好きで、小学六年生で大人に交じってシャーロキアンの会に入るほど。一方で人付き合いは得意ではなく「一人でいるのが好きな子。写真ではいつも端っこに映っていました」(幸子)。

 短歌との出会いは、神奈川県立湘南高校時代。文芸部顧問の歌人を通じ、佐藤佐太郎や石川一成の歌を知り、自らもつくりはじめた。

 大学に入ると、さらなる出会いが短歌との縁を深めた。一年生の合宿セミナーのゲストに呼ばれた俵万智(54)との出会いだ。「俵さんが『あなたは歌会に来るべきよ』と熱心に勧誘したんです」。一緒に誘われ、『心の花』に入会した同級生の清水あかね(50)が振り返る。だが、歌会に出てもなかなか周囲と打ち解けなかった。当時の日記に気持ちがつづられていた。

 <どんどんと、内側にへこんでゆく自分を感ずる。クリームに窪(くぼ)みが出来て、次第に内へ内へと落ち込んでゆくのが見えるような。窓外の風景は、私の感覚の凹(へこ)みへと満ちてくる。大気にさえ、私は侵入されるのだ。私は奥へ奥へと、不活性体となって沈められている>(一九八七年三月二十六日)

 それでも独特の感覚に根差した歌は次第に評価される。八九年、『心の花』の二十首連作で「モザイク」が一席を獲得。翌年には『歌壇』誌の「90年代のホープ」特集に十二首を寄稿。佐佐木から「おのずからそなわった<花>がある人」と紹介された。

 「透きとおるもの」と題された十二首の五首目にあるのが<寒天質に閉じ込められた吾を包み駅ビル四階喫茶室光る>という一首だ。前に<いちどきに話題たかまる 残された我の耳のみ透明でなし>、あとには<光りつつビーズのように落ちてゆき吾に向けられし言葉は尖る>という歌がある。大学の友人か、歌の仲間か。駅ビルにある喫茶室で何人かで語り合っているが、ひとり疎外されているように感じている。

 幸子は、この歌が「あの子の姿に重なる」と言う。残された短歌ノートには、九〇年三月十四日の日付でこの三首を含む五首が書かれている。二首を外し、三月七日と八日に作った歌などと組み合わせて、連作を構成したことが分かる。幸子は、同年の『現代短歌雁(がん)』十月号に載った<息づいてエレベーターに押されいる我は細かい実をつけた枝>にも娘を感じると話す。「弱いけど、豊か」だから。

 安藤の歌は、聰彦らの手で没後一年の命日に歌集『水の粒子』として出版された。夭折(ようせつ)の悲劇とともに新聞や雑誌で紹介され、広く知られるようになった。表題歌の<君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る>は、後に俵の『あなたと読む恋の歌百首』に収録された。

 気鋭の歌人・光森裕樹(37)が昨年暮れに出した歌集『山椒魚(さんしょううお)が飛んだ日』に<“ツーフィンガー”確かむるには細き指なりしか安藤美保の其の指>という歌がある。『水の粒子』の<ツーフィンガー気負いて飲めばもろともに夕陽のなかへ落ちる勉学>を下敷きにした作品だ。学生時代に古書店で歌集を入手。最近も出張の折に読み返し、「自分自身の学生時代を思い出すような感じ」がしたという。

 亡くなって四半世紀余。清新な安藤の歌は今も、失われた青春の窓の灯として読み継がれている。 (敬称略)

     ◇

 不定期に掲載します。 (文化部長・加古陽治)

 

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