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【文芸時評】

青来有一「悲しみと〜」 松浦寿輝「明治の〜」 沼野 充義

 今月は「場所」を強く意識した作品が記憶に残った。まず黒川創「旧柳原町ドンツキ前」(『新潮』)は、京都の街中にかつて存在した「革商品屋などの商店街」を舞台とした作品で、いま五十歳の西口が、ここで過ごした過去を振り返る。印刷会社に勤めていた彼は、一九九四年の「平安建都千二百年」の際、ある編集者から相談を受ける。古地図を新たに印刷する際、「差別的」な施設名称を消せないだろうか、というのである。じつはその施設があった場所は、西口が学生時代に下宿していたあたりであり、この件を枕にして、小説は彼の青春時代の回想に移っていく。下宿館を営んでいた中野履物店のおばさん、同じ下宿にいたアキラという乱暴者、そして一時西口と性の交わりを持つアキラの姉。しかし、その全体に、この場所特有の歴史的背景が影を落とす。差別の問題に澄んだまなざしを向けながら、黒川は過去に確かに「あった」ものを浮かび上がらせている。

 一方、長崎在住の青来有一の中編「悲しみと無のあいだ」(『文学界』)は、被爆者である父が癌(がん)のために八十歳で亡くなったことをきっかけに、長崎の被爆体験をどのように受け継いでいけるのかをあらためて考える息子の話であり、作者自身の姿がそこにそのまま投影されている。末期癌の父に「緩和ケア」を施しながら、「わたし」は「苦しみの果て」に訪れる平安に思いをいたす一方で、直接父から凄惨(せいさん)な経験談をほとんど聞かないままで終わったことを埋め合わせるかのように、文学的想像力によって、被爆の「実相」を描きだそうと考える。その意味では高度に「文学的」な作品である。タイトルはフォークナーから来ているし、宮沢賢治の童話や赤十字の創設者デュナンの回想が随所に引かれる。そしてクロード・シモンの「フランドルへの道」の影響下に父の被爆体験を再構築した文体実験が、作品のクライマックスになっている。

 北野道夫の中編「305」(『すばる』)は、「関東平野」の団地に育った女性アイをめぐる物語。彼女はいま別の場所の、しかしやはり同じような団地で乙部という男と同棲(どうせい)している。乙部は彼女が風俗で働いていたときの客だったが、いまでは彼に結婚を迫られている。そんなとき、兄からメールが届き、「305が解体される」と知らされる。「305」とは昔住んでいた公団住宅の棟番号だ。こうしてアイは過去の記憶を呼び起こされるのだが、この作品で面白いのは、アイは乙部とのなれそめを兄に説明するため(風俗で知り合ったなどとは言えないから)、乙部とともに別の物語を組み立てようとするということで、小説は現実と並行して、「放浪する孤独な旅人」と「本格的な売春婦」の物語を紡ぎ出す。それが閉塞(へいそく)感に満ちたこの小説の世界に、風穴を開けることになるだろうか。

 対照的に、特定の場所に縛られず、卑俗でほとんど無意味な日常からいつの間にか、とりとめもない宇宙的な与太話にまでさまよい出てしまう、といった風なのが山下澄人の長編「ルンタ」(『群像』)である。人称も登場人物の視点も自由にすり替わる融通無碍(ゆうずうむげ)な口語的文体、極限まで刈り込まれた断片的な会話と饒舌(じょうぜつ)の交代、不条理な描写などの連続を通じて、読者はすべてが決定不能な言語空間に漂うことになる。「わたし」が人間としての暮らしにうんざりして、家を出て、途中でルンタという馬を得て山に向かうという大筋は読み取れるが、登場人物が生きているのか死んでいるのか分からなくなったり、物語が突然冒頭に戻ったりといった具合で、真面目な読者は面食らう。文体は簡潔だが、その人をくった難解さにおいて、現代文学の最先端の一つと言えるだろう。ただし、先頭を切って、いったい何を突き破れるだろうか。不思議な作家である。

 最後に、松浦寿輝の七百ページを超える大冊『明治の表象空間』(新潮社)に触れておきたい。明治時代の「表象」、とは言っても、具体的には主として言語によって表現されたものを素材に、教育勅語から歴史、博物学、文学まで横断的に読み解くことを通じて、日本近代の黎明(れいめい)期を考察している。堂々たる学術的著作ではあるが、文芸時評の立場から興味深いのは、じつはこれが松浦寿輝、すなわちフランスの専門家であると同時に、日本語で書く小説家・詩人という存在を生み出した歴史的母体を解明する試みになっているということだ。そして最後には、明治時代の警察の記録と大江健三郎の小説に現れる「穴」の分析に基づいて、「穴」とは結局、反権力的行為の表象だったという鮮やかな結論が導かれる。つまり「表象空間」とは、「穴」を掘ることと、それを制止しようとする権力の間の「言説の戦場」なのだ。これは明治時代に限ったことではあるまい。

 (ぬまの・みつよし=東京大文学部教授、ロシア東欧文学・現代文学論)

 

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