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【文芸時評】

又吉直樹「火花」 沼野 充義

 今月発売の文芸誌で人目を惹(ひ)く作品は、お笑い芸人として人気の高い又吉直樹による中編「火花」(『文学界』)だろう。又吉は芸能界きっての読書家として知られ、これまで脚本やエッセーなどの著作も多いが、これが小説家としての本格的なデビューとなる。今回の作品は若手漫才師の野心と挫折を描いた、ほろ苦い青春小説である。

 主人公の「僕」はスパークスというお笑いコンビで活動を始めた駆け出しの芸人。二十歳のとき、熱海の花火会場で出会った「あほんだら」というコンビの四歳年長の神谷を師と仰ぎ、彼の「伝記」を書くことを頼まれる。神谷は世間の常識に挑戦する天才的な感覚をもった芸人のようだが、結局、認められず、不遇のまま借金を重ね、恋人にも去られ、破滅的な生活を送り続ける。一方「僕」は苦節を経て、一時期テレビなどにもしばしば登場し、ある程度成功するのだが、やがて相方の結婚を機に、芸人を辞めることを決意する。至るところにちりばめられた才気煥発(かんぱつ)なギャグの応酬の中から、芸に関する真剣な考察が光る。「芸人のパンチは殴れば殴るほど人を幸せに出来るねん」とは、落ちぶれても芸人の持つ特殊能力を信じ続ける神谷の言葉である。

 平凡社が発行している隔月文芸誌『こころ』第二十二号(二〇一四年十二月刊)は、第一回晩成文学賞の受賞作を発表した。『こころ』は「大人の時間をとりもどす」というはっきりした方針を掲げた、中高年齢層をターゲットとした雑誌で、晩成文学賞とはいかにもこの雑誌に相応(ふさわ)しく、六十歳以上の書き手を対象とした新人賞である。受賞者の小森京子は六十五歳、編み物講師。受賞作の「浜辺の晩餐(ばんさん)」は、長崎県の佐世保近郊の霊園に隣接する浜辺で、ある老夫婦が行く場所を失って野宿する羽目になり(夫は高齢で腰の持病があり、妻は認知症である)、そこに、重い病を抱えた孤独な女がやはりバスに乗り遅れて合流し、海で採った貝を焼いて三人で時ならぬ晩餐に興ずる、という物語。落ち着いた正確な文体で深刻な題材を描きながらも、カーニバル的な笑いも盛り込んだ佳品。

 その他、今月の文芸誌は、興味深い特集が目立っていた。まず『すばる』は特集「批評の更新2015」。新世代の批評のリーダー格として山城むつみと東浩紀の二人のインタビューを中心に据え、大澤聡、大澤信亮(のぶあき)、浜崎洋介、福嶋亮大(りょうた)などのまだ三十代の注目すべき若手批評家たちの寄稿を集めている。現代の批評状況といえば、山城とのインタビューの聞き手、岡和田晃の、「(二〇〇〇年代の後半から)時代の並走者としての批評家がほとんど存在していない」という指摘が的確だろう。ここに登場した若手たちは、新たな「時代の並走者」、いや、むしろ作家に先駆けて時代を切り拓(ひら)く者たちになれるだろうか。ちなみにリーダー格の二人のうち山城は「小林秀雄やドストエフスキーに関して深く深く掘っていくようなタイプ」(東とのインタビューの聞き手、杉田俊介の言葉)、それに対して東は本を書くとか、じっくり研究するとか、「甘っちょろい」ことをやっている状況ではなく、「批評や思想を未来に繋(つな)げる」ためには別次元の言論空間を作る運動が必要だと考えている。まったく対照的な二人である。

 『群像』は、カラー保存版と銘打った「絵本 御伽草子(おとぎぞうし)」の特集。町田康、堀江敏幸、青山七恵、藤野可織、日和聡子、橋本治の六人の作家たちが、腕によりをかけて、有名な物語を換骨奪胎したものに、オリジナルの挿絵がふんだんにあしらわれていて、豪華。原作の時代に寄り添ったもの(町田「付喪神」、青山「鉢かづき」、橋本「はまぐりの草紙」)もあれば、現代に時代を移したもの(藤野「木幡狐」)もある。堀江は「猫の草子」として知られる物語の背後の真相を「象の草子」として提示し、また日和は「うらしま」を再創造して、詩的な別の物語を作っている。いずれも古典の翻案として興味深いが、現代日本の作家たちは、偉大な先例、太宰治の「お伽草紙」のぎりぎりの切実さからはだいぶ遠い地点に来ているようだ。

 『文藝』新春特大号は、昨年十一月に刊行が始まった池澤夏樹個人編集による『日本文学全集』(全三十巻)にちなんだ特集。この全集の大きな特徴は明治以前の文学を、作家たちによる(国文学者ではなく)現代語訳によって収録するという方針で、第一巻は編者池澤自身による新訳「古事記」である。この全集をめぐって池澤と対談した大江健三郎は、「これは日本人の心の歴史の上でも大きい出来事です」、(作家による古典現代語訳の試みを通じて)「これまでの日本人の文学とは違った性格のもの規模のものがあらわれてくる」のではないか、という期待を表明している。私も同様に期待したい。

 (ぬまの・みつよし=東京大文学部教授、ロシア東欧文学・現代文学論)

 

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