東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 文化 > 文芸時評一覧 > 記事

ここから本文

【文芸時評】

川上未映子訳「たけくらべ」 羽田圭介「スクラップ−」 沼野 充義

 池澤夏樹個人編集による『日本文学全集』(河出書房新社)が好調だ。最近出た第三回配本は明治時代編で、樋口一葉「たけくらべ」、夏目漱石「三四郎」、森鴎外「青年」の三作を収める。ここで特に注目されるのは、「たけくらべ」が川上未映子による現代語訳で収録されたことだ。「たけくらべ」の凝縮された雅文体は現代の読者には取っつきにくいものだが、川上未映子は原文の精神を生かしながらも、大胆に自分のリズムと声を盛り込み、新しい自分の作品に仕上げていて見事。新訳を通じて浮かび上がってきたのは、成長していく思春期の少年少女たちの心理を生き生きと描いた、意外にもとてもモダンな物語である。今回「三四郎」と「青年」も久しぶりに通読して痛感したのだが、編者の池澤夏樹も言うように、明治は青春が脚光を浴びる「清新な時代」だった。未来を切り拓(ひら)く役目を若者と、若者を描いた文学が担ったからだろう。

 それに対して、現代の文学は青春をどう描いているだろうか。一葉の雅文とは対極的な、ポップな若者口語で現代詩の最先端を突っ走る女性詩人、最果(さいはて)タヒの『星か獣になる季節』(筑摩書房。表題作の他に、その後日談「正しさの季節」を収める)は、「純度300%の青春小説」と帯に謳(うた)った作品で、十七歳の男子高校生二人と、彼らが応援する「地下アイドル」の女の子をめぐって、殺人事件を絡ませながら展開される。ストーリー展開は私には現実味が薄く、しかも絶望的なものにしか思えなかったが、まさにそれが現代の青春ということなのかもしれない。

 しかし、若者言葉の一人称によって語られる文章のところどころには、はっとさせられるような清新な抒情(じょじょう)が宿っている。十七歳は「人でなしになって、星か獣になる」年齢だという表現は、強烈に心に残った。「正しさの季節」の、「命がのぼっていくような、夏の夜の匂いがした」という結末の文章も印象的だ。なお、この小説は全編横書きである。日本語は一葉の明治からネット時代へと、はるかな道をやって来た。

 もっと絶望的な印象を受けたのは、羽田(はだ)圭介の中編「スクラップ・アンド・ビルド」(『文学界』)である。主人公は、青春というには少し年をとった二十八歳の健斗。以前の職場を自己都合退職した後、資格試験の勉強を自宅でしながら、月に一、二度はさまざまな企業の中途採用試験を受けては落ちるということを繰り返している。その彼の家に同居しているのが、八十七歳になる祖父である。「じいちゃんはすっかり馬鹿になってしもた。死んだらよか」というのが口癖で、実際、服毒自殺を試みたこともあるのだが、その年齢からすれば「いたって健康体」で、健斗もその母もいささか持て余している。「祖父がこの先五年も一〇年も生き続ければその間に母は祖父を絞め殺しかねないし、特別養護老人ホームはどこも順番待ちだ」というのが、現実なのだ。そんな状況の中で、健斗はかいがいしく世話を焼くかにみせて、じつは祖父が社会復帰する訓練機会を奪い、弱らせようと企(たくら)むのである。無職青年と高齢老人のなんとも嫌な関係を克明に描いた点では優れた作品だが、やはりここからは出口が見えてこない。死にかけてもなお生へ執着し、性欲も持っている祖父の描き方には陰惨な滑稽味がある。

 それに対して、「ブラック企業」と呼べそうな会社に勤める三十代の男を主人公とした内村薫風(くんぷう)の中編「MとΣ」(『新潮』)はやはり出口の見えにくい状況を扱いながら、広がりとさわやかさを感じさせた。そもそも構成が斬新である。物語は、現代日本の企業から、ネルソン・マンデラがまだ獄中にいる南アフリカの解放闘争、ボクサーのマイク・タイソン、そしてRPG(ロールプレイングゲーム)の「ドラクエ」の中の世界、と目まぐるしく、瞬間移動的に切り替わっていくのだ。

 この手法は新しい。実際、作品中にも「瞬間移動」とか「神経伝達物質」といったSF的な発想が登場するので、小説自体がそのアイデアに基づいて組み立てられているとも言える。一見互いに関係の無さそうな世界を無理やりつなぎ合わせた奇想小説のようでいて、物語を通して意外にも、人間の行動と意識に関する倫理的な問いかけが響いている。それは、たとえ愚かな行為を反射的にしそうになっても、人間はそれを意志の力によって禁止できるのではないか、というものだ。

 そう言えば、現代ロシアの「怪物」と呼ばれたことさえある前衛作家ソローキンの長編『氷』(松下隆志訳、河出書房新社)が出版されたばかりだが、そこでも「新しい誠実さ」が問われていた。前衛的実験によって既存の価値観を解体してしまった文学は、新たなモラルを追求し始めているのだろう。

 (ぬまの・みつよし=東京大文学部教授、ロシア東欧文学・現代文学論)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報