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【文芸時評】

川上未映子「苺ジャムから―」 三輪太郎「憂国者たち」 佐々木敦

 毎夏のことだが、文芸誌数誌が「戦争」を特集している。『文学界』9月号は「戦火は遠からず」と題して、高井有一原作の映画「この国の空」公開に合わせた主演女優、二階堂ふみのインタビューとグラビア、脚本監督を手掛けた荒井晴彦の寄稿、映画とは別の青来有一と堀川恵子の力のこもった論考など。『すばる』の特集は「戦争を、読む」。古井由吉のインタビュー、加藤典洋、林京子、堀江敏幸のエッセー、大岡昇平の「野火」を映画化した塚本晋也監督のインタビュー、アンケート企画「戦争を知るための一冊」など、盛り沢山(だくさん)の内容。

 『文学界』の方がやや中身が薄いのは、同誌掲載でダブル芥川賞の「又吉直樹・羽田圭介スペシャル」が急遽(きゅうきょ)入ったからだろう。受賞をネタにした羽田の掌編「成功者Kのペニスオークション」が実に人を喰(く)っていて面白い。せっかくの「芥川賞受賞第一作」を、こんなひどい話で済ましてしまうのは、かつて阿部和重が「グランド・フィナーレ」でデビュー十年を経て遂(つい)に芥川賞を貰(もら)った後、受賞第一作として書いたのが、いまだに単行本未収録の問題作「課長 島雅彦」だったという一件以来ではないだろうか。受賞後の振る舞いを見ていても、どうも羽田にはかなり変なところがある。芸人の又吉直樹の方が、ずっと常識人に思えてくる。

 『早稲田文学』秋号の特集は「広島について、いろんなひとに聞いてみた」。大江健三郎インタビューを中心に、堀川恵子と重松清の対談、小山田浩子と市川真人による広島東洋カープの栗原健太インタビューなど。マイケル・エメリック単独選考による早稲田文学新人賞も発表されている。受賞は二名。「贄(にえ)のとき」の中野睦夫が七十八歳、「小悪」の桝田豊が三十九歳。「abさんご」で同賞を受賞した黒田夏子が当時七十五歳なので、中野は最高齢記録を更新したことになる。そして黒田とはタイプが異なるが「贄のとき」もかなり前衛的な作品である。

 長年、会うことのないまま経済的援助を受けてきた父親を訪ねて、庶子の「わたし」は父親が「局長」として勤務する役所にやってきたが、すでに退職したと言われる。しかし父親は「裏の局長」として今も役所内に棲(す)んでいるかもしれないというのだ。「わたし」は父親の存否を明らかにするべく建物内を彷徨(さまよ)い始めるのだが…。エメリック氏も選評で書いているように、すぐに思い浮かぶのはカフカと安部公房だが、その系譜に属する残雪や小山田浩子とも共通する感触がある。今となっては古典的ともいうべきシュールさ、不条理感を懐かしく感じつつ読み進めていくと、ラストに唖然(あぜん)とさせられるトンデモない展開が待っている。「小悪」は、一九八七年、地方都市の子供たちの小さな悪とその余波を淡々と描いている。好作だが、こちらは妙に枯れていて、一瞬、作家と作品が入れ替わっているのではないかと思ってしまった。

 川上未映子「苺(いちご)ジャムから苺をひけば」(『新潮』9月号)は、「ミス・アイスサンドイッチ」(『新潮』13年11月号)の続編である。前作で小学四年生だった主役二名は六年生になっており、語り手が「ぼく」こと麦くんから「わたし」ことヘガティー(おならが紅茶の匂いがしたということからつけられた失礼な渾名(あだな))に変わっている。ヘガティーは母親を早くに亡くし、映画評論家であるらしい父親と二人暮らしなのだが、ある日ネットで、父親が母親の前に別の女性と結婚しており、一女をもうけていたことを知ってしまう。思いも寄らぬ事実にショックを受けた彼女は父親に不信の念を抱き、麦くんの助けを借りて、自分と半分だけ血の繋(つな)がった「姉」を探し出そうと思い立つのだが…。駆け抜けるようなテンポと瑞々(みずみず)しい言葉の選び方に魅せられて一気に読み終えた。今月最良の作品である。なお、前作を読んでいなくても問題はない。

 三輪太郎の長編一挙掲載「憂国者たち」(『群像』9月号)は、文芸批評家でもある三輪の、小説の形を借りた最新評論ともいうべき作品である。大学で近代日本文学を講じる「私」のゼミ生の男女、「橘アカネ」と「鷲見恭一朗」は、以前付き合っていたのだが別れて以来、妙に反目し合っている。アカネは卒論のテーマに三島由紀夫を選び、三島の自決を肯定的に捉えようとする過程で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの内戦で虐殺に関与したとされるセルビア人共和国の元大統領ラドヴァン・カラジッチが三島を読んでいたことを知り、サラエヴォへと調査に旅立つ。一方の鷲見は、ネトウヨへの興味から謎の右翼集団「昭和鏡」と出会い、その独特の教義に惹(ひ)かれてゆく。どこまでが事実や資料に基づき、どこからが虚構なのか判然としない部分こそが読みどころである。『群像』は「戦争」特集をしていないが、この作品をもってそれに代えたということだろう。

 (ささき・あつし=批評家・早稲田大文学学術院教授)

 

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