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【文芸時評】

本谷有希子「異類婚姻譚」 木下古栗「GLOBARISE」 佐々木敦

 今月は文芸誌四誌で新人賞が発表されているが、全体的にやや低調な印象を否めない。新潮新人賞は高橋有機子「恐竜たちは夏に祈る」、すばる文学賞は黒名ひろみ「温泉妖精」(佳作の竹林美佳「地に満ちる」も掲載)、文藝賞が山下紘加(ひろか)「ドール」と畠山丑雄(うしお)「地の底の記憶」、群像新人評論賞は当選作なし(優秀作二編掲載)。眼高手低という言葉があるが、それぞれ苦心して書かれてはいるものの、いわば眼中手中という感じで、新人賞らしい野蛮な輝きに乏しい。全部に触れることは無理なので、ひとつだけ取り上げておく。

 「温泉妖精」は、カラーコンタクトと整形で外国人のふりをしているが、実はバレバレのエリザベス・リンチこと岡本絵里二十七歳。彼女はあらゆる意味で恵まれない自分の人生を変えるべく「外人」になったのだが、幸福は一向に訪れない。楽しみといえば温泉めぐりくらい。愛読する毒舌だらけの温泉ブログで唯一けなされていない旅館に遠路はるばるやってきたが、そこはどうして褒められているのかわからないしょぼい宿屋で、天然温泉でさえなかった。宿泊客は自分以外に一人だけ。彼女はもうひとりの客がブログの主のハンドルネーム「ゲルググ」であることを見破る。影(本名は影山)というその男は相当な金持ちのようだが見た目はさっぱりで、おまけに最悪の性格の持ち主だった…。

 温泉行の現在時に過去のエピソードを自在に挟み込む手際も、絵里とその家族、影、旅館で働くアンナといったいずれも居そうで居なさそうな登場人物たちを描き出す辛辣(しんらつ)なユーモアと鋭い叙情にあふれた筆致も、なかなかのものである。何より読んでいて愉(たの)しかった。ひょっとすると「文学」よりも「エンタメ」向けの資質なのかもしれないが、今月の新人賞作品の中では、もっとも即戦力感のある人だと思う。頑張っていただきたい。

 本谷(もとや)有希子の中編「異類婚姻譚(たん)」(『群像』11月号)は、「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた」という一文から始まる夫婦奇譚。長年連れ添った夫婦は次第に似て来るといわれるが、もちろんこの作者なので、話はまともな方向には向かわない。妻の「私」を「サンちゃん」と呼ぶ旦那は、稼ぎがいい分、家では完全に脱力していて、真面目な話を一切しようとせず、毎日テレビのバラエティー番組を三時間も観(み)る。旦那のおかげで「私」は働かなくて済んでいるのだが、ある時ふと気づくと、旦那の目鼻が緩んで崩壊しており、人間の顔ではなくなりかかっていた。驚きながらも、それにもすぐ慣れていく「私」。やがて夫婦の関係は、奇妙な反転現象を起こしていく。

 現実生活にもあるだろう些細(ささい)な引っかかりや違和感を、リアリズムの範疇(はんちゅう)を踏み越えてひたすら拡大してゆく、シュールだが身につまされる想像力は、本谷有希子ならではのものである。不満があるとすればラストだろうか。寓話(ぐうわ)的と言ってもいいようなファンタスティックで「いい話」で落としている。最後の最後でまた毒を注入してみせはするのだが、なんとなく息切れしてしまってこのあたりで終わらせるために急ぎ導入したアイデアという感じがしてしまった。もっと長く書いてもよかったのではないだろうか。

 木下古栗(ふるくり)は、奇才、異能、変態(?)といった呼称が誠にふさわしい作家である。書き手の狂気をリアルに感じさせるほどおかしな小説を書かせたら、今や並ぶ者はいない(並ぼうとする者もあまりいなさそうだが)。「GLOBARISE」(『文藝』冬号)は、十二編の短編の一挙掲載である。どれを取っても、唖然(あぜん)とさせられるふざけぶりと、あらすじを書いただけでこの文芸時評欄が終わってしまうほどの露骨な危なさを放っている。一九七〇年代あたりの筒井康隆の物語逸脱力、タブー侵犯力、言語破壊力を彷彿(ほうふつ)とさせる。エログロナンセンスという古めかしい言葉を、二〇一五年の現在形にアップデートしたと言えばいいだろうか。

 しかしこの徹底した不真面目さは、真面目な話、現状では極めて貴重なものだと思う。あらゆる意味で普通の小説だけは絶対書くまいという古栗の悲壮な覚悟(のようなもの)が生々しく伝わってくる。これでもかというほど手を替え品を替え連打される実験的な手法の数々は、しかしその実験の革新性が決定的に失われてしまった後の時代に為(な)されているという事実をあっさりと引き受ける清々(すがすが)しさに満ちている。

 どれだけでたらめを極めても、それが作者個人の人間性=キャラクターによって放免されるとすれば閉口だが、ここにはそれもない(古栗は実質的に覆面作家に近い)。それにしても、八〇年代に大ヒットした世界平和を歌うあの名曲の英語詞を十度も繰り返すのには笑った。最後に登場する表題作は寿司(すし)屋が舞台の猟奇殺人絵巻からぶっ飛んだ発想で「地球の終わり」に至る傑作。

 (ささき・あつし=批評家・早稲田大文学学術院教授)

 

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