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【文芸時評】

宮内悠介「カブールの園」 星野智幸「眼魚」 佐々木敦

 『群像』10月号は、創刊七十周年記念号ということで、八百ページを超える超大冊。分厚さの大半を占めるのは永久保存版「群像短篇名作選」で、三島由紀夫から川上弘美に至る総勢五十四名の小説家が同誌に寄稿した短編を再録している。ひとつの雑誌に載った小説のみから成る珍しい戦後文学アンソロジーになっており、目次を眺めているだけでも愉(たの)しい。

 太宰治「トカトントン」、庄野潤三「プールサイド小景」、小沼丹「懐中時計」、藤枝静男「悲しいだけ」、丸谷才一「樹影譚」、多和田葉子「ゴットハルト鉄道」、保坂和志「生きる歓び」、角田光代「ロック母」など、それぞれの代表作と言ってよいものもあれば、レアな作品も混ざっており、純文学読者必携と言える。「群像70年の短篇名作を読む」と題された、辻原登、三浦雅士、川村湊、中条省平、堀江敏幸による座談会、清水良典と坪内祐三による評論、今はなき匿名の連載コラム「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」傑作選も載っていて、とても充実した内容である。願わくば、このまま創刊百周年まで続いていって、これを上回る千ページの大特集をやっていただきたい(私が生きてないかもしれないが)。

 宮内悠介は、文芸誌への初登場だった「半地下」(『文学界』2月号)を以前取り上げたが、二作目となる「カブールの園」(同10月号)をさらに面白く読んだ。SF畑出身で、デビュー作から二冊続けて直木賞候補に挙げられて以後、理系文系(という分け方も古いが)を兼ね備えた膨大な情報量と卓越した処理能力を武器に、ジャンルをまたぎ超えた執筆活動を展開している。

 前作と同じく舞台はアメリカだが、今回の主人公=語り手は日系三世の女性である。彼女は大学時代の友人たちとIT系のベンチャー企業を起業し、ソフトウェア・マネージャーとして働いているのだが、子供のころに負ったトラウマ(心的外傷)を現在も抱えており、クリニックで新技術による療法を受けている。母親との間もずっとうまくいっていない。彼女はある日、社長である友人から休暇を取ることを命じられる。心身ともに疲れているようだから、ヨセミテにでも行ってリフレッシュしてこいと言うのだ。彼女は気が進まないが、上司命令とあれば従わざるを得ない。だがその小旅行は、結果として彼女にとって自らのルーツを探る旅となる。自分の母親の、母親の母親の、そして自分自身の、アメリカで生きる日本人としての、日系人としての運命。やがて彼女は、第二次世界大戦中に在米日系人が収容されていたマンザナー強制収容所跡に向かうことになる。

 時代設定は限りなく現在に近いと思われるが、ヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)を利用した心理療法技術や、インターネットのクラウドを駆使した音楽の共同制作など、この作家ならではの斬新なアイデアが随所に盛り込まれており、近未来SFの趣もある。

 だが、この小説の白眉は、日系一世たちがアメリカで編んだ同人雑誌に掲載されたという文章「伝承のない文芸」だろう。もちろん架空の論文なのだが、合衆国への同化の必然として、世代が移り変わるにつれて「日本/日本語」の記憶と歴史が失われていくことが、そこでは「伝承のない文芸」と呼ばれている。ここに込められた問題意識は、文芸の範疇(はんちゅう)を超えて、アメリカで生きる日系人であるヒロインの、彼女の親たちの、かつて海を渡ってアメリカにやってきた日本人のアイデンティティーへと敷衍(ふえん)される。力作である。非常に大きなテーマであり、それだけにこの枚数にまとめるのは少々もったいないような気もした。長編に出来る素材だと思う。いつかあらためてトライしてほしい。

 星野智幸の「眼魚(めざかな)」(『新潮』10月号)は、短編としてもかなり短い方だが、震撼(しんかん)させられた。急性落涙症候群、奇妙な夢遊病、突発性難聴、飛蚊(ひぶん)症ならぬ飛魚症とでも呼ぶべき症状、矢継ぎ早に異様な出来事が描かれてゆき、奇怪なイメージが次々と迸(ほとばし)り、事態を把握するよりも先に物語がどんどん進行してゆく。

 とはいえ、語り口はあくまでも淡々としており、これも一種のSFないし幻想小説のような装いだが、やがて「軍活」や「大沈み」といった、誰にでも何の話をしているのかがわかる造語が現れるにつれて、ほとんど怒りにも近い、激しい寓意(ぐうい)のようなものが急激に立ち上がってくる。これは五年後の「震災後小説」であり、と同時に「以前の小説」でもあるのかもしれない。二〇一〇年代に入ってからの星野は、大江健三郎賞を受賞した『俺俺』、読売文学賞の『夜は終わらない』、多方面から絶賛された『呪文』と、野心的な作品が続いており、どちらかといえば長編タイプの作家だと思っていたのだが、これだけ凝縮された短編を読まされると、今後は短めの作品もコンスタントに発表してくれたらと思う。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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