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【文芸時評】

「すばる」1月号特集「17」 上田岳弘「塔と重力」 佐々木敦

 『すばる』1月号の特集「17」には驚かされた。もちろん二〇一七年にちなんでいるのだが、とにかく「17」という数にこだわって、谷川俊太郎、角田光代、平野啓一郎、吉本ばななら総勢十四名によるエッセイ「十七歳のとき」、青山七恵、滝口悠生(ゆうしょう)、上田岳弘(たかひろ)の鼎談(ていだん)「『十七歳小説』を読む」、一九一七年に立ち返って夏目漱石没後一〇〇年にかんする水村美苗と小森陽一の対談、ロシア革命一〇〇年をめぐる亀山郁夫、島田雅彦、前田和泉の鼎談、さらには俳人の堀本裕樹の「十七音の遠き海」、数学者・森田真生(まさお)の「数をめぐる十七の断章」など、ヴァラエティに富み過ぎとも思える記事が並んでいる。

 こんな自由連想的な特集の組み方があったのか、と呆(あき)れを通り越して感嘆した次第だが、中でもJ・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」、フランソワーズ・サガン「悲しみよこんにちは」、大江健三郎「セヴンティーン」という「『十七歳小説』を読む」が面白かった。もちろん「十七歳」と言ったって、時代によって全然違っているわけだ。三編は五〇年代頭から六〇年代頭にかけて書かれている。半世紀以上前の「十七歳」を、現代の若手作家三人が縦横に論じている。

 特集といえば『群像』1月号では「五〇人が考える『美しい日本語』」をやっている。蓮實(はすみ)重彦、吉増剛造、橋本治、内田樹(たつる)、リービ英雄、穂村弘、堀江敏幸、村田沙耶香、等々が各々(おのおの)「美しい日本語」を選び、エッセイを寄せている。私も書いている。このタイミングでの特集の企画意図については特に誌面では触れられていないのだが、私も含めた何人もの寄稿者が「美しい」と「日本語」の接続に微妙な違和感を表明しているのがなかなか興味深い。そういう反・ナショナリズム的な反応自体も今や紋切り型ではないかと思いつつ、ついつい留保をつけたくなってしまうということだろう。

 その中で、佐佐木信綱「夏は来ぬ」を挙げた片岡義男の「美しい日本語は、言葉としては残っている。活字で本のなかに印刷された言葉だ。僕がそのような言葉のほんの一端を知ったとき、そのような言葉が描いたはずの日本の風物は、とっくに消えていたと僕は思う。実体はかたっぱしから消えていき、言葉だけが残る」という述懐が心に残った。

 上田岳弘の中編「塔と重力」(『新潮』1月号)は、デビュー作品集『太陽・惑星』、三島由紀夫賞受賞作『私の恋人』、芥川賞候補となった『異郷の友人』と、人類史を丸ごと相手取った極端にマクロな世界観のもとに荒唐無稽な物語を紡いできた注目作家の「種明かし」のような作品として読んだ。なにしろこの小説には、上田作品ではお馴染(なじ)みのSF的にぶっ飛んだ設定は出てこない。

 主人公の「僕」こと「田辺」は予備校時代、友人たちとの合宿中に阪神・淡路大震災に遭遇、ホテルの倒壊で生き埋めとなり、彼自身は救出されたものの、恋人(になりかかっていた)美希子は亡くなった。「僕」は上京して大学生となり、卒業後はフリーターとして二年間を過ごした後、知人の紹介で起業まもない会社に入り、今では役員となっている。その会社が株式公開をして、まもなくロックアップ期間が終わるので、そうしたら株を売却して会社は辞めようかと考えている。「僕」はフェイスブックで昔の知人を検索していて、大学時代に友人だった水上の消息を知る。かつて「僕」は水上の自殺(?)を食い止めたことがあった。水上は弁護士になり、二度離婚して二人の元妻との間に娘がひとりずついる。「僕」は今も独身だ。二人とも三十代の終わりを迎えている。

 「僕」と水上は再会し、しばしば飲み歩くようになるが、学生時代に「僕」から美希子のことを聞いていた水上はやがて「美希子アサイン」と称し、会うたび知らない女性を「美希子」として同席させるようになる。意味不明の行為に「僕」は戸惑うが、徐々にそれにも慣れていく。水上は「田辺=僕」が登場する小説を書き始める。ある日、十一人目の「美希子」として現れたのは、しばらく連絡が途絶えていた「僕」のセックス・フレンドの葵だった。

 フェイスブックをはじめとするSNSが物語の中枢に置かれている。「神ポジション」という言葉が出てきて、文字通り「あたかも神のごときポジションからやたらと壮大な視点で語ること」なのだが、それを実体化させると過去の上田作品になるわけだ。「僕」の経歴は作家自身のそれと意識的に重ねられている。上田岳弘という小説家は、どうしてあのような奇妙な小説ばかり書いてきたのかという問いへの、もちろんフィクションではあるのだが、切実な返答らしきものが、この作品のそこかしこに覗(のぞ)いている。「種明かし」とはそういう意味である。これを書くのはかなり大変な、ある意味でしんどい作業だったのではないか。しかしそれに見合う力作に仕上がっている。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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