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【文芸時評】

高橋弘希「送り火」 北条裕子「美しい顔」 佐々木敦

 第百五十九回芥川賞は、高橋弘希「送り火」(『文学界』5月号)に決定した。高橋は二〇一四年に「指の骨」で新潮新人賞を受賞してデビュー、同作は第百五十二回芥川賞候補となった。以後「朝顔の日」(第百五十三回)、「短冊流し」(第百五十五回)と候補に挙げられたが受賞はならず、四度目の候補となった今回、ついに栄冠を射止めた。

 この作品については以前にこの欄で触れたので多くは述べない。田舎の中学生たちの暇つぶしめいた遊戯が、異常な暴力性へと変容するさまをかねて評価の高かった粘り強い描写力で書き切ったこの小説は、この作家の特質とこだわりを十二分に示し得た力作であり、受賞は至極妥当なものである。高橋の今後の作品におおいに期待したい。

 そのうえで、ということになるのだが、あらゆる「文学賞」と同じく、芥川賞の場合も、誰が、いつ、どの作品で受賞することになるのかに、タイミングや運のようなものが作用していることは言うまでもない。たとえば私は「送り火」で芥川賞を受賞したのなら、高橋弘希は「指の骨」でいきなり受賞していても、次の「朝顔の日」でとっていても、あるいは候補にさえならなかったが「日曜日の人々(サンデー・ピープル)」で受賞していてもおかしくはなかったと思う。

 そもそも過去の受賞作リストを眺めてみれば、芥川賞が必ずしもその作家のもっとも受賞にふさわしい作品に与えられるわけではないという明らかな事実を確認することが出来る。だから何、ということではないのだが、しかし問題は、それでもしかし、ひとたび芥川賞を受賞したら、その事実はほとんど絶対的な評価として喧伝(けんでん)されることになるし、世間もそのように受け止め、その効果たるや絶大だ、ということなのである。

 私は以前、芥川賞があるから「文学」は延命している、という説を述べたことがある(『ニッポンの文学』)。これは批判でも現状追認でもなく、単なる事実確認だが、しかし私はやはり現在の「芥川賞一強体制」は好ましくないと思っている。だが正直言ってどうにもならないし、むしろその強さはいや増す一方なのだ。

 ここで今回の候補作の一本でもあった北条裕子「美しい顔」(『群像』6月号)が引き起こしている問題について触れておきたい。私はこの作品に大変感銘を受けた。それは前に本欄にも書いたとおりである。だが私は、この小説が芥川賞候補に挙げられることが望ましいとは思っていなかった。前にも書いたことがあるが、私は新人賞受賞作すなわちデビュー作がそのまま芥川賞を受賞してしまうことは、その作家自身にとってよいことではないと考えている。だが、それとは別に、候補になる可能性は高いと思っていたし、候補になれば受賞することもあり得ると思っていた。

 そこに今回の「盗作」騒動が起こった。北条は「美しい顔」を執筆するにあたって参考にした数冊の書物を記していなかった。類似した表現があるという指摘を受けて『群像』の出版元である講談社は作者に確認し、参考書籍のリストを公表するとともに、そのうちの一冊である『遺体』の著者、石井光太氏などに説明と謝罪を行った。

 だが、その時点でインターネットを中心に北条の行為が確信犯的な「盗作」だとする声が広がっており、非難や中傷を受けて講談社は声明を発表、盗作には当たらないという見解を表明するとともに、この小説の全文をホームページ上に無料公開した。この問題は現在も完全な決着には至っていない、進行中の案件である。

 芥川賞決定後の記者会見で、選考委員のひとりである島田雅彦は、全選考委員に「盗用にはあたらないという共通認識はあった」としたうえで、早い段階で選考から外されたと述べた。従って「美しい顔」は他の候補作と同じ条件で賞を競い、落選したわけである。「盗作」をしたから落とされたのではない。だが現在の状況では、これが無罪判決にならないだろうことも確かである。以下はこの経緯を踏まえたうえでの私見である。

 参考書籍の記載漏れにかんしては、作者はもちろん『群像』編集部も当然ながら猛省しなければならない。そこに虚偽や作為が介在していたことが明らかになったなら何らかの責任を取る必要もあるだろう。だが、そのうえで文芸時評の担当者である私があらためて自分に問うべきは、もしも最初から参考書籍が明記されていたとしたら、そしてそれ以外の文章はすべて変わらなかったとしたら、この小説をどう評価するのか、ということに尽きる。

 私の答えははっきりしている。「美しい顔」はそれでも力強いデビュー作である。新人賞にも芥川賞候補にも十分に値する。だが、今回の一件で負うことになったマイナスをはねのけるためには、北条裕子は「美しい顔」を超える強度を持った第二作を書かなくてはならない。とにかく書き続けて欲しいと思う。

 (ささき・あつし=批評家)

 

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