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【新国立競技場問題】

国立競技場の壁画11点 一転、保存の可能性

撤去直前、解体のためテープが貼られた大沢昌助さんの「動態」(7・75×8・3メートル)。左手前の壁の陰の人と比べると大きさが分かる=昨年10月、大沢昌史さん撮影

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画家の孫、署名活動実る

 二〇二〇年東京五輪に向けた国立競技場の建て替えに伴い、行き先が宙に浮いていた十一点のモザイク壁画が新競技場内に移設保存される可能性が出てきた。事業を進める日本スポーツ振興センター(JSC)が保存を前提に、新競技場内で設置可能な場所の検討を進めていることが分かった。廃棄の危険性から一転、事態を動かした背景には、保存を求めて一人で署名集めを続けた男性がいる。(森本智之)

 三月下旬、川崎市の大沢昌史さん(48)は永田町にいた。祖父の昌助(しょうすけ)さん(一九〇三〜九七年)は壁画を手掛けた四人の画家の一人。集めた署名を添えて、国会に請願するため議員を訪ね歩いていた。

 ロックバンド「ユニコーン」のライブビデオを手掛けるなど本業は映像ディレクター。署名集めも議員に面会するのも初めての経験だが「わらにもすがる思い」と話した。

 JSCは昨夏、「最終保存場所は今後検討する」として、移設先を決めないまま十一点を撤去することを公表。いくつかのブロックに切断し、今年二月までに撤去を終えた。現在は国立代々木競技場の屋外の敷地に保存されている。

 大沢さんは「当初は『保存する』と聞いて安心したがよく確認すると、いまの状況で受け入れに手を挙げる人がいるとは思えないと不安になった」。

 壁画は壁に直接張り付けてあり厚さ四十五センチになる。さらに十一点のうち大きいもので約八メートル四方、重さは七十トンに達する。ブロックに切り分けても移設先まで運搬し復元するにはコストもかかる。バラバラのまま現物も確認できずに引き受ける人がいるかも疑問だった。

 祖父の昌助さんは東京美術学校西洋画科を首席で卒業し戦前戦後を通じて活躍した著名画家。都議会議事堂の壁画もその作品だ。国立競技場の十一点のうち「動態」「人と太陽」の二点を手掛けた。

 制作に当たり「暗い壁面のために明るいタイルを選んだ」「他の人の作品と調子が狂わないように心を配った」と言葉を残した。一連の壁画は一九六四年の東京五輪に合わせ、日本を代表する画家たちが作った。昌助さんは展示場所の環境や他の作品とのバランスまで考慮していたのだ。

 だが「人と太陽」の前にはその後、控室が増築された。「人が一人通れるくらいの隙間しかなく、ホコリだらけになっていた」

 昌助さんらの壁画がこうした不遇な状況に置かれる一方で、「勝利の女神像」「野見宿禰(のみのすくね)像」という別の二点の壁画は当初から新国立競技場への移設が決定していた。同じくモニュメントとして移設される聖火台は撤去の様子が恭しく報道された。同じ五輪の“遺産”だが、差は明らかだった。

 大沢さんは十一点全てを「勝利の女神像」「野見宿禰像」と一緒に新競技場に移設することを求めてきた。知人だった地元市議らに相談し、署名を添えて国会に請願するというアイデアを得た。国立競技場の建て替え問題のシンポジウムを傍聴するなどして出席者らに助言も求め、集めた署名は千人ほどになった。

 当初は積極的とは言い難かったJSCの対応も変わった。新競技場に壁画の設置スペースを作り出せるかどうか検討し、七カ所程度の候補場所が浮上。広報担当者は本紙に「検討を続け、全ての壁画を保存したい」と述べた。保存の全体像は、今秋までにまとまる新競技場の実施設計に織り込まれる見通しという。

 おじいちゃん子だったという大沢さん。父も画家で、周囲からは画家になることを期待されていたという。「祖父の作品は大好きですが、別の道に進んだ負い目もあって美術そのものに背を向けてきたところがあった。でも保存に向けた活動の中でモザイク画の魅力を知った。おじいちゃんから『おまえもそろそろ美術に興味を持て』と言われているような気がする」と胸の内を話した。

 

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